人間が集まり,居住している状態をさす。英語のsettlement,ドイツ語のSiedlung(Siedelung)は定住を意味している。フランス語のétablissement humaineは集落のほかに人類居住のために一時的または永久的に建設された建造物を含んで用いられた。その後,1925年A.ドマンジョンが初めて集落に対してhabitat humaineを用いて以降一般化し,英語でもhabitatが用いられる傾向がでてきた。
日本ではもと〈聚落〉と書き,その字義は〈人の集まりいるところ〉で,古代には寺院聖域などに対し在家の村落をさした。日本で最初に〈集落〉の語を用いたのは新渡戸稲造の《農業本論》(1898)で,農業経営の立場から農村の集落形として疎居・密居のあることを述べている。そして〈集落〉が現在のように都市・村落を含めた人類居住の意に用いられるのは,ヨーロッパの集落地理学が紹介されて以降,1921年前後からである。最近では農林業センサスでも〈農業集落〉の用語が用いられるようになった。これは従来用いられてきた〈部落〉という語を,自然発生的な〈むら〉,すなわち家と家とが地縁的・血縁的に結びついて,各種の集団や社会関係をかたちづくってきている農村の基礎的集団に使用した場合に,第2次大戦後の合併前の行政区域を指すのか,戦前の末端機構の行政区を指すのか,1889年(明治22)の町村合併以前の旧町村を指すのか,など既成のいろいろな意味に解されることを避けるためである。
集落は本来,村落と都市の両者を含むが,都市に対して村落と同義に用いられることもある。都市は異なる機能をもつ社会集団が高密度に居住する地表空間であり,周辺地域に対して中心地機能をもち,地域における結節点の役割を果たしている。村落はおもに農牧・林・漁業などに従事する人々の居住場所であり,農地など生産の場所の近くに位置する。その住民のおもな生業により農村,林村(林業村),漁村に分類される。したがって,一般には都市と村落の区別は,人口の大小,住民の職業,地域における社会的機能,生産様式や景観の相違等々によって分けているが,明確に区分することはできない。集落は地表における人間居住の本拠であるから,一般に自然災害や外敵に対し安全で,水や食糧を得やすいなど,人間の居住に適する場所に成立する。集落がどのような場所に位置するかを集落立地といい,村落の場合はその立地位置により平野村(野村)または平地村(平場村),山村,臨海村(海村,海端村)に分けられる場合もある。
集落形態は,集落を構成する家屋の形態とその配置,居住パターン,耕地と家屋との関係,土地割,道路網などの要素が,民族の生活様式や,その自然環境に応じた居住様式により,さまざまな集落景観として表出したものであり,地域によりさまざまな特色を示す。
村落の形態について最初に最も詳細に分類したのは,ドイツのA.マイツェンの《西ゲルマン,東ゲルマン,ケルト,ローマ,フン,スラブ諸族の集落と農法》であり,次の五つに分けている。(1)集村Gewanndorf 耕作農民の数に等しく割られた耕牧地から構成される,いくつかの大割Gewannからなるのでこの名称がある。マイツェンはゲルマン人の集落と考えた。(2)沼沢村Marschhufendorf オランダの沼沢地にみられ,排水のために等間隔の運河を設け,それに沿って家屋とその背後に細長い耕地をもつ。(3)孤立荘宅Einzelhof ウェーゼル川以西にみられる耕地と家屋が密接した,農家の散在する形態を指し,マイツェンはケルト人の集落と考えた。(4)林地村Waldhufendorf 東南ドイツにおける中世末の森林開墾地にみられる形態で,谷底の道に沿って家屋が並び,その背後に道と直角に細長い耕地をもっている。(5)環村Runddorf エルベ川以東にみられ,楕円形の広場をもち,耕作農民の家屋がそれを囲む形態で,スラブ人の集落と考えられた。マイツェンの仮説である(1)集落の形態は成立当初のものを継承する,(2)民族は定まった集落形態をもつ,という点は,以後の歴史的考証,分布地域に関する精緻な研究によって修正されてきてはいるが,形態分類については,ほぼこのマイツェンの分類が踏襲されている。その上で,現在は形態の発生的研究,歴史的過程の研究が進められている。
ドマンジョンはマイツェンらドイツ学派の分類をもとに,同一形態で成立の異なった集落について,歴史的要因を加味した形態分類を行った(《人文地理学の諸問題》1952)。まず集中agglomérationと分散dispersionという考えに立って集村を次の三つに分類した。(1)輪作式耕地の集村champs assolés 三圃農法など輪作による借圃制耕地をもつ形態。(2)耕地が接続している集村champs contigus ヨーロッパにおいて,中世末に森林や沼沢が開拓された所にみられ,家屋と耕地とが結びついていることが特色である。(3)耕地が分離している集村champs dissociés 南イタリアなどにみられ,防衛などの必要から耕地が家屋から離れたところにある集村。次に散村についてはその形成が一次的か二次的かを主要な基準の一つとして次のタイプに分けている。(1)古代の一次的分散dispersion primaire d'âge ancien 土地がやせているなどの理由で古代から放牧がなされ,そのために散村の形態をとるもの。ウェーゼル川以西,メキシコ山地などにみられる。(2)挟まれた分散dispersion intercalaire 古い集村と集村との間に挟まれた所にある未開地の開拓によってできた散村。ドイツのシュワルツワルトやウェストファーレン地方などにみられる。(3)二次的分散dispersion secondaire 農業を集村で行うことが不便になったために分散させた結果できた散村。自然発生的に形成されたフランス,エジプトなどの場合と,中世末・近世初期に計画的に各農家の耕地をまとめたために形成されたドイツ,イギリスなどの場合とがある。(4)近代の一次的分散dispersion primaire d'âge récent 防衛の必要がなくなった近代における開拓農村にみられる散村。ベルギーやオランダの海岸地方,オーストラリア,アメリカの農村はすべてこのタイプに属する。フランスではドマンジョン以降この分類をもとに,歴史的吟味を加えた生態学的方法がM.ソールらによってとられてきている。
都市の形態については多様な分類がなされているので,ここではボージュ・ガルニエJ.Beaugeu-Garnier,シャボーG.Chabotの《都市地理学Traite de géographie urbaine》(1963)の分類をあげる。(1)方格状あるいは碁盤状 互いに直角に交わる2本の幹線道路(カルドとデクマヌス)をもつ形態で,古代ローマの植民地や軍営地にみられ,西欧ではこの方法が12世紀以降特に多く用いられることになる。なお,これには外側の囲郭が楕円とか円形のものも含ませている(図1)。(2)放射状同心円型 中心から星形に動脈となる交通路を出すもので,円の代りに六角形をはめ込んだものも含む。古代オリエントにみられ,また中世の城館の囲郭もこれにならって流行した。(3)路線型 ソリアArturo Soriaが1894年マドリードに適用し,ソ連でもボルゴグラード(旧名スターリングラード)で採用された。幹線の両側に,労働する地区,アパート地区,住宅地区,別荘地区の奥行きの長い帯状のブロックを幾組も平行に並べて配置する形態の都市(図2)。なお,このような形態には自然条件によって不完全なものとなる例がある。たとえばシカゴやロサンゼルスのように方格状の地区がいくつも並置される場合,ボルドー,アムステルダム,ケルンなどのように放射状同心円型が海,川などによって半円状となる場合があげられている。またアラブやオリエントの都市には,テヘランのような迷路状の形態をとるものが例外的にある。
集落は家屋,耕地などによって構成されているが,それらを一つの社会として結びつけているものは血縁的な結びつきと地縁的な結びつきであり,その組合せによって集落の性格も異なってくる。これによって集落は二つの相異なった考え方--一つは集落構成員としての平等指向,もう一つは血をひくものへの結合の助長指向--の相克の場となる。血縁関係を広く解すれば族縁関係である。その具体的な形が大家族制の集落とか同族集落となり,また部落内婚の集落となる。通常は幾組かの同族あるいは血族が集まって一つの集落を形成し,有力な一族がピラミッドの頂点に位することになる。日本では族縁関係をもつ一族のことを〈イッケ〉とか〈カブウチ〉とか〈マキ〉とか呼んでおり,現在では具体的な血縁関係が明らかでないものでも,同姓の〈カブウチ〉が集まって祖先祭を行う所がみられる。飛驒の白川村,越中の五箇山の大家族制に裏付けされた合掌造の族縁関係の強い集落は,第2次大戦後は民法が改正され戸主制度が廃止されたことと家屋の建築の様式の変化とによって急速に消滅への道をたどっている。バルカン山中の長老ゴスポダールgospodarのもとに共同祖先から出た部族的共同生活を営むザドルーガzadrugaもこの種のものである。また,アイルランドのクラッヘンも同族によって構成されている場合が多い。他方,地縁関係の最も典型的なものはヨーロッパ中世の三圃制・二圃制の村落であり,日本中世の遺制といわれる古い型の宮座は,中世名主間の平等な地縁関係をもつ村落を示しているといわれる。日本では東北日本に族縁関係の強い同族型集落が多いのに対して,西南日本に地縁関係の強いフラットな講型集落が多い。新しくできた住宅団地などは血縁関係も地縁関係も薄い集落である。一つの巨大な企業が立地し,ほとんどの住民がなんらかの形でその企業に関係があるような町をカンパニー・タウンcompany townと呼んでいるが,これは職縁関係の強い集落ということができる。
集落の規模は人口密度と密接な関係があり,国や地域によって差異があるので,機能と規模について世界的視野からいくつかのカテゴリーにまとめようとする試みが,農村景観に関する国際用語作業部会や,特定の国の地理学者によってなされてきた。イギリスの集落の規模別分類は,次のようにまとめられる(表1)。これはドイツの場合とほぼ同様である。(1)農場または家屋敷farmstead,homestead マイツェンの孤立荘宅に当たる。(2)小村hamlet ドイツのワイラーWeilerまたはドルッベルDrubbelに相当し,村落villageよりも小規模で,多くは6~8戸よりなり,小規模のため教区を形成しないもので,教会や学校は通常もたない。(3)クラッヘンclachan 20戸までの小農民からなる不規則な平面形をもった集落で,大きいものは村落と変わらないものもある。スコットランドやアイルランドに分布し,かつて内圃・外圃制infield-outfield systemと内圃のランデール制rundaleという共有割替制をもつことが特色である。ケルト人の集落であるが,現在は崩壊してきている。(4)村落village ドイツのDorfに相当し,多くは15戸以上の集中したものをさし,14戸以下のhamlet(小村)と区別しているが,厳密には区別しない場合も多い。有核村落で,教会やその他の機能を含んでいる。ヨーロッパでは村落といった場合に日本のように散村,小村,集村のいずれの場合をも含んで用いることはない。
都市については地方制度,なかでも最低人口規模が国によって異なっており,日本の市の人口の基準である5万人はフランスの2000人,アメリカの2500人など欧米に比べて著しく高い。また,ヨーロッパの町が,これまでに獲得してきた市場開催特権や自治権の歴史を伝えていることも,日本と異なっているところである。そこでここでは集落の規模別区分と機能上の対照表をイギリスの場合を例として示すのみにとどめる。
集落の分布の法則性に注目し,理論化したのはドイツのM.クリスタラーである。彼は南ドイツの町が7kmの間隔で規則的に分布していること,それらの町を規模別にみると,高次のものになるほど疎になっていることから,これは財とサービスの中心地機能の大小にあると考えて図式化を行った。後にレシュA.Löschによって部分的に修正されはしたが,これがクリスタラーの中心地理論である。中心地とは,周辺の住民に対して財やサービスを供給する中心地機能,すなわち財を販売する卸小売や保健医療,行政・文化・教育・宗教まで含めた多くの機能をもった集落である。この種の集落(中心地)には都市的規模のものから役場を中心とした小さい村落まで含まれるが,低次のものから高次のものに至るこれらの集落がどのような地域ヒエラルヒーを形成して分布するかが,理論的に演繹的に数式で求められている。この集落分布の理論には次の仮定がある。(1)同一の生活水準をもつ人口が均等に分布する空間で,(2)供給施設の利用者は交通費を負担してその施設の利用や財の購入を行うが,(3)供給施設は必要最小限にしか存在せず,また,(4)各種の供給施設は集積によって利益が得られるので同一中心地に集積するもの,という仮定である。この場合,各中心地の供給圏を境界で示すと正六角形の亀甲型(蜂の巣状)となる(図3)。
中心地はそのサービスの代替として,周辺から食糧やその他の供給をうける。このような相互依存の区域をクリスタラーは補完領域と呼び,ヒエラルヒーの大小によって七つの階層,すなわち市場地(M),区中心地(A),郡中心市(K),地区中心市(B),小州中心市(G),県中心市(P),広域中心市(L)に分け,これらは重層的構成をなしていると考えて,階層と中心地立地との関係を表2のように論理上整理している。彼はこのようにして得られた規則性は中心的財の最も合理的な供給を意図した場合であるとし,供給原理または市場原理と名づけ,交通条件や行政区域を考慮に入れた場合の立地原理を交通原理,行政原理と呼んで区別している。レシュをはじめとするクリスタラー以降に展開された論議は,このような条件をどのように立地理論の中に組み入れるかをめぐってなされてきている。
日本の近代的集落地理学もまた,欧米と同様に形態論に始まった。ドイツ集落地理学をうけて1913年小川琢治が,ドイツのウェストファーレン地方に顕著にみられるEinzelhofに初めて〈孤立荘宅〉の訳を与え,これが越中砺波(となみ)地方の散村に適用される性格のものであり,その起源が班田制に由来するとともに,その存続要因が土地政策とフェーンからの自衛的な生活の知恵であるとした。また,これとともに大和盆地の条里施行地域に垣内(かいと)の名称をもつ環濠集落がみられることに着目し,条里制による〈条里式村落〉あるいは〈垣内式村落〉と呼称して,日本の集落形態を世界的な集落地理学研究の場に引き出した。これを受けて村落の面では分布的に,また史的に集村・散村についての研究が深まった。砺波の散村については,1915年牧野信之助によってその起源は越中加賀藩の村落制度であるとの反論がなされる一方,31年村松繁樹がドイツにみられるような地味の不均質性がないことと,扇状地のために開拓がおくれた新開地に多くみられる散村と同一の性格であるとする論などが出された。一方,集村については,条里制の追求によって集落との関係が32年以降米倉二郎によって明らかにされ,小川琢治によって指摘された垣内式村落は,平城京の宅地割にみられる4行8門,または3行9門,4行7門の様式を農村計画である条里地割の方1町に適用したものであり,方6町36ヵ坪の条里の里の1ヵ里の中心部の1町または2町が宅地に当てられることが理想であったであろうと指摘した。この考えは,第2次大戦後この種の環濠集落である大和の若槻庄(現,大和郡山市)の集落についての史料による歴史地理的復原を渡辺澄夫が行った結果,直接的にはこの宅地割が古代の条里制施行時にまでさかのぼることの可能性が少なくなったが,なお当初の地割の理想像として存在したとする仮説は生きていると考えてよい。以降の村落研究は,村落形態においても時代的変化を織り込んだフランス学派の立場にたった史的追求がなされ,古代末に小村~疎塊村が形成され,それが中世には集村へと移行したとする論に傾いてはいるが,なお永原慶二によって出された中世散居小村論との基本的関係については,今後の重要な検討課題として残されている。
集落地理学としての都市研究は,山崎直方の《わが国市邑の地理的組織》(1904)および《清国の都邑の構造について》(1906)に始まる。都市は村落と異なって構造の意味が多様であり,時代とともに変化してきた。第2次大戦以前の構造は地域的構成であり,地域パターンが重視されたのに対して,以後はアメリカの社会生態学的アプローチの影響をうけて機能的構造を意味するようになった。山崎直方に次いでは西田与四郎の《都市形態》(1931)や国松久弥の《都市地理学序説》(1931)が出されたが,いずれも前者の性格をもつものである。第2次大戦後では都市の機能的側面としての交通や都市の生態学的側面として,内部構造の中心商店街や副都心の形成,衛星都市の問題などが取り上げられ,多くの研究がなされた。木内信蔵の《都市地理学研究》(1951)は最初の体系化であるといってよい。
個別の都市や特定のカテゴリーに属する都市の変遷が取り上げられることも村落にみられない特色である。それらの研究としては喜田貞吉の平城京などの研究をまとめた《帝都》(1915),藤田元春の《平安京変遷史》(1930),小野均の《近世城下町の研究》(1928),大井重二郎の《上代の帝都》(1944),藤岡謙二郎の《国府》(1969),豊田武の《日本の近世都市》(1952),矢守一彦の《幕藩社会の地域構造》(1970)などがある。最近では計量地理学を導入した都市研究も多くなってきている。
執筆者:高重 進
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
人間の居住の本拠である家の集まっている地域をいう。集落の本来の語意は土地への定着をいうのであり、集落は人間生活の本拠、そして人間の営む社会生活の拠点地域である。したがって、集落は住家の集まりであることに加えて、その生活や生産の基盤地域(耕地、林野、漁場、それに公共施設など)をも含めていう。狭義の集落は農村的集落(村落)をいうが、広義の場合には都市も含めている。村落は形態上から集村と散村に分けられる。集村は列村、路村、街村、疎(そ)村、塊(かい)村、円村などに再分類される。集落はその形成過程から古村、新田村(開拓村、屯田兵村)、親村(本村(ほんむら)、元村)、子村(枝村)などに分け、開拓村の場合は本村の名を冠してその出自を示し、また開拓発頭者名を冠しているものがある。また、機能上からは農村、漁村、林業村(山村)に分類される。これははっきり分類できない中間型のものが多く、農山村、半農半漁村などとよばれる。立地する地形上からは平地村、山村、臨海村(海岸村)に分けている。地理学では集落を研究する分野を「集落地理学」、またとくに都市を研究する場合には「都市地理学」とよんでいる。
[浅香幸雄]
『小田内通敏著『集落と地理』(1927・古今書院)』▽『村松繁樹著『日本集落地理の研究』(1962・ミネルヴァ書房)』▽『矢嶋仁吉著『日本の集落』(1967・古今書院)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…また多種多様な食料の摂取は栄養学上のバランスにもかない,煮炊きによる衛生学上の効果もあった。この食料事情の安定は定住的な集落生活を可能にし,縄文文化を形成し蓄積する要因となったのである。旧石器時代
[生産]
貝塚や洞窟あるいは湿地性の遺跡などは動物・植物遺存体の保存条件にかなっており,そうした自然遺物から食料対象物の一部を知り得る。…
…〈むら〉とは農林水産業,すなわち第1次産業を主たる生業とするものの集落単位の総称であり,商工業者を主とする〈まち〉に対応する概念である。したがってそれは人類の歴史とともに古く,地球上どこにでも存在する普遍的かつ基本的な社会集団であるといえるが,〈むら〉のしくみや経済的機能は,民族により,また同じ民族であっても地域により,時代によって,きわめてまちまちである。…
※「集落」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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