下平流村(読み)しもへるむら

日本歴史地名大系 「下平流村」の解説

下平流村
しもへるむら

[現在地名]彦根市稲里町(いなざとちよう)

塚(つか)村の南に位置し、東に上平流村が続く。同村とともに平流庄の遺称地。天正一九年(一五九一)五月「下へる」の六六三石余が豊臣秀吉の直轄領として代官観音寺詮舜の管理下に置かれ(「愛知郡蔵入目録」芦浦観音寺文書)、文禄三年(一五九四)一〇月には「下ヘリ村」内の四四石余が寺西新五郎に宛行われている(同月一〇日「豊臣秀次朱印状」寺西文書)。慶長七年(一六〇二)一〇月、当村庄屋・百姓は検地帳を受取り、「六尺三寸之さおを以、五間・六拾間三百歩壱反ニ御打被成候事」以下五条からなる検地請状(案、山田文書)を提出している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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