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百姓 ひゃくしょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

百姓
ひゃくしょう

古くは臣,連など数十種の姓 (かばね) をもつすべての人民をさし,「おおみたから」「ひゃくせい」といい,大化改新以降は公民をさした。律令制下の土地公有制がくずれ,私有制が展開されるにつれて,百姓は農民を意味するようになり,江戸時代には「本百姓」や「水呑百姓」があった。

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デジタル大辞泉の解説

ひゃく‐しょう〔‐シャウ〕【百姓】

農業に従事する人。農民。
農業をすること。農作業をすること。「代々百姓をする家」
あかぬけない人や情趣を解さない人をののしっていう語。
江戸時代、特に本百姓(ほんびゃくしょう)のこと。
ひゃくせい(百姓)」に同じ。

ひゃく‐せい【百姓】

《いろいろの姓(かばね)を持つ公民の意》一般の人民。庶民。ひゃくしょう。
「暴虎を恣(ほしいまま)にして、―をしへたげり」〈太平記・三五〉

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百科事典マイペディアの解説

百姓【ひゃくしょう】

古代では〈はくせい〉ともよみ,農民に限らず広く一般人民をさした身分呼称。また〈おおみたから〉などと呼ばれ,律令制下では奴婢と化外(けがい)の民である夷狄(いてき)を除き,班田農民・地方豪族・官人貴族などはすべて百姓とされた。
→関連項目地下請士農工商潰百姓名請人

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とっさの日本語便利帳の解説

百姓

日本では農民。中国では人民、市民、民衆、一般大衆

出典|(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」
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世界大百科事典 第2版の解説

ひゃくしょう【百姓】


【古代】
 古代ではヒャクセイと読み,農民に限らずひろく一般人民を指し,万民という言葉と同様な意味で用いられた身分呼称であった。その語源は,古代中国において族姓を有するすべての人のことで,百とは族姓の多いことを示す語である。日本古代の百姓は,オオミタカラ,ミタミなどと呼ばれ,古代王権のもとにあった王民,公民,良民全体を含みこんでおり,律令制下では一般戸籍に編戸された班田農民,地方豪族,官人貴族らは,すべて百姓とされた。

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大辞林 第三版の解説

ひゃくしょう【百姓】

( 名 ) スル
農業で生活している人。農民。
農業を営むこと。また、農作業。 「郷里へ帰って-する」
田舎者をののしっていう語。
中世、荘園を耕作する農民。
近世、特に本百姓ほんびやくしようのこと。
ひゃくせい(百姓) 」に同じ。

ひゃくせい【百姓】

〔古代において、もろもろの姓かばねを有する公民の意〕
一般人民。庶民。公民。ひゃくしょう。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

百姓
ひゃくしょう

古代では「ひゃくせい」ともいい、貴族や官僚、下層の部民(べみん)や奴婢(ぬひ)を除く姓氏を有するあらゆる公民(こうみん)(国家の民、「おおみたから」ともいう)を意味した。下総(しもうさ)国葛飾(かつしか)郡大嶋郷(おおしまごう)(東京都江戸川区・葛飾区の一部)の戸籍に、孔王部小山(あなおべのおやま)、孔王部忍秦(おしはた)、刑部止手(おさかべのして)、壬生部嶋(みぶべのしま)などの人名がみられるが、これらはそれぞれ孔王部、刑部、壬生部などの姓をもつ百姓である。律令(りつりょう)制のもとで、百姓は班田(はんでん)を給され、租(そ)・調(ちょう)・庸(よう)・雑徭(ぞうよう)などの課役を負担したが、これらの課役を忌避して浮浪・逃亡などの抵抗を行い、律令制度の根幹を下から掘り崩した。
 10~11世紀の王朝国家のもとで、百姓は独自で、あるいは郡司(ぐんじ)とともに「郡司百姓等解(ひゃくせいらのげ)」などという訴状を提出し、国司(こくし)の苛政(かせい)を糾弾し罷免を政府に要求するなどの動きを示した。988年(永延2)の尾張(おわり)国郡司百姓等解文は有名である。
 11~12世紀の荘園(しょうえん)・公領制の成立とともに、百姓は荘園・公領で年貢・公事(くじ)を負担する身分となった。ただし百姓は農民のみでなく、漁民やその他農業以外の産業に従事する人々も、年貢・公事を納める限り百姓であった。手工業者など百姓の一部は、この年貢・公事を免除され、技術でもって朝廷や貴族・寺社に奉仕する職人(しきにん)として組織された。鎌倉幕府法42条では、百姓は年貢・公事を納めている限り「去留(きょりゅう)」の自由を確保しているものとして規定され、売買・譲渡の客体となる下人(げにん)と明確に区別されている。百姓はまた村落共同体の成員として、その権利と義務をもつ住人という身分をもち、定住の期間が浅く、権利・義務があまり認められていない間人(もうと)や一時的居留や浮浪して歩く浪人と区別されていた。
 百姓は、貴族や武士などから土民(どみん)と蔑称(べっしょう)されていたが、14~15世紀には、荘園領主の年貢・公事に反対する荘家(しょうけ)の一揆(いっき)、債務の破棄すなわち徳政を求める徳政一揆などを起こし、これらは在地の土民の一揆ということで土(つち)一揆と称された。百姓のこのような運動の高まりは、一方で自らを「御(おん)百姓」と称し、結集する動きを生み出していった。百姓の上層の土豪層は、名主(みょうしゅ)とか地侍(じざむらい)とよばれ、武士の家臣になり、その軍事力の一端を担って百姓から離脱する者もあり、その傾向は戦国時代に入ると大名の軍事力拡大政策のなかで助長されていった。家臣が主君をないがしろにしたり、場合によっては打倒すること、あるいは、百姓が領主に抵抗すること、さらにこの百姓から武士に上昇していくことなど含めて、当時下位にある者が上に成り代わっていく社会状況は「下剋上(げこくじょう)」とよばれた。[峰岸純夫]
 ところで本来百姓ということばは、農民のみをさすことばではなく、古代では広く庶民一般をさし、中世でも、農村に武士や商人・職人が居住したので、百姓を農村に住む人と解しても、その内容は多種多様であった。だが江戸時代では、百姓はすべて農民であり、農村に居住する人々はすべて百姓という体制が実現した。その意味で、今日の百姓=農民という意味は、江戸時代に確立した。
 南北朝期以後、旧来の名(みょう)体制の分解から生まれた中小名主や作人層は、その後室町から戦国時代にかけて、国人(こくじん)・地侍層を中心に、農村に惣(そう)や郷(ごう)などの組織をつくり、農村内で農作業を共同で行い、用水・入会(いりあい)の利用を共同で行い、祭礼などを共同で行うとともに、つねに寄合(よりあい)により農村を運営し、惣や郷の掟(おきて)を決め、違反者の処罰を行い、また農村の代表者を公選で選ぶなど、生活上の強い共同体をつくりだした。郷村制の成立であり、この組織が後の江戸時代の百姓の生活共同体の母体となった。しかも農民は、村内の生活の共同のみならず、荘園領主や守護大名との年貢・諸役の交渉や請負を行い、交渉が不調のときには集団で土一揆を起こし、これに徳政令の要求や、宗教組織が結び付いて、畿内(きない)を中心に多様な農民の一揆が展開した。
 応仁(おうにん)の乱(1467~77)に始まる戦国の動乱を通じ、各地に生まれた戦国大名は、独自の分国をつくり対抗するとともに、これら農村の動向に対応し、一方で郷村制を認め農村の運営を彼らに任せ、他方で検地・刀狩を行い、土一揆を禁止した。また武士の城下町移住、国人・地侍層の武士化、商工業者の城下町集住を図った。いわゆる兵農分離政策の開始である。そしてその政策は、やがて織豊(しょくほう)政権により全国に徹底して行われ、太閤(たいこう)検地、刀狩、村切(むらぎり)の実施と村請(むらうけ)制の確立、武士・商工業者の都市への完全移住が進められ、身分法令の実施、全国的人別改(にんべつあらため)の実施により、農村での住民が農民に限定され、百姓身分として定着化された。
 さらにその後、江戸幕府がその体制をより完成させ、全国的な兵農分離体制を確立し、士農工商の身分制で、全身分の権限、居住地、職業の地域的引き分けが完成し、農村には農民のみが百姓身分として固定化され、全国的に百姓=農民の体制の確立をみたのである。
 そして江戸時代には、幕藩体制の基盤として、領主が、この百姓の居住地=農村を支配的に編成し、そこでの百姓の生活を統制することに努めた。そのため全国に約8万の農村が置かれ、すべて百姓はこのどこかに集住させられ、百姓から選ばれた村役人に、生産や生活を監視され、年貢を徴収された。百姓はその持ち地をすべて検地帳に書き上げられ、人は家族ごとに宗門人別帳(しゅうもんにんべつちょう)に書き上げられ、土地と人の村帰属が決定し、入会地などの区分が行われ、村の領域が決められた。村では、百姓は五人組や村組などにより生活の共同と統制・監視を受けた。また百姓は、中世と同じく村寄合を開き、村の運営を協議し、村法を制定して、村での生活規制を行ったが、兵農分離体制下では、中世よりも統制が強化され、年貢生産者としての百姓の生産・生活の管理と村落による規制が強化された。
 しかも領主は、こうした村落の規制に加え、さまざまの法令を制定し、その統制を強化した。慶安御触書(けいあんのおふれがき)(1649)で衣食住や生活の細部を統制し、また土地に対し田畑永代売買の禁令、分地制限令を出し、その移動を禁じ、勝手作り禁令で作物の規制を行ったが、こうした法令は、そのほかにも多数出された。
 ではそうした規制下の農村での百姓の実態はどうか。一般に江戸時代の百姓の中核は本(ほん)百姓といい、領主の政策でもそれを基盤としたが、実際には、そのほかに水呑(みずのみ)百姓や名子(なご)、下人(げにん)など、各地域別に各種の下層農民がいた。また本百姓の資格は、一般に本田畑をもち年貢を納入する者というが、これにもその経営規模などでさまざまなものが存在した。ことに初期の各地農村で村役人を勤めた階層には、中世の土豪的領主層が、兵農分離後でも農村に百姓身分として土着した者が多く、彼らは本百姓といっても多くの名子・下人を保有し、中世的大経営を行うものが多く、村のなかでも村役人を勤めるほか、用水・入会などに特権をもつ者が多かった。これらを初期本百姓ともいう。そのほか一般の本百姓の実態も、地域と時期により実に多様であった。
 一般的に標準的な経営は、中世の名主経営から自立してきた小農民で、一町歩(約99アール)ほどの土地をもち(分地制限令では10石を基準とする)、田畑と屋敷を保有し、夫婦と子供数人の単婚家族で、自立的小経営を維持していた。だからその経営は、多肥労働集約型小経営が多く、稲とともに各種の畑作物をあわせた複合経営を行ったと考えられる。前述の領主の支配策では、そうした経営の維持を目標とし、諸政策が行われたし、その後もその経営を維持するため、その経営を百姓株として固定し、その分割を制限することも行われた。
 江戸時代中期以後、年貢の過重、飢饉(ききん)などの災害の多発と、農村への貨幣経済の流入により、これら自給的な本百姓の経営は大きく変動し、有力農民と貧農への両極分解が展開する。すなわち本来的に生活の豊かな一部有力農民は、事実上の土地売買を通じて地主化し、なかには高利貸を営み、在郷商人化するものも出た。一方、年貢の重圧に苦しみ、商品・貨幣経済の圧迫を受けた下層農民は、質地などで土地を手放し、地主の下で小作人に転落するほか、農業を離れて、各種の雑業で日雇取(ひようとり)化するほか、生活苦から農村を捨てて都市へ流出する者が増加し、一部奉公人化する者もいるが、多くが都市浮浪人化していった。
 その結果、本百姓の自立経営を基盤とした農村は大きく変質するとともに、百姓間の対立も激化し、村内で中期以後に多くの村方騒動が引き起こされるとともに、百姓一揆、打毀(うちこわし)の激発を招くなど、村落体制の変動が続いた。
 さらにこうした本百姓経営の変動は、旧来その経営よりの年貢収奪で成り立っている領主経済を大きく変動させた。この時期以後に領主層が年貢以外の各種の収入増加策をとるとともに、都市流出民の帰郷、各種の施米・施金や経営の助成、荒れ地の再開発と労働力の確保といった本百姓経営の再建策をとったり、また村役人を中心とする村の機能の再編・強化を図ったのはそのためであるが、これらの政策は、農村の変動の解決には役だたなかった。
 やがて明治維新の改革で、旧来の村落支配体制が崩壊し町村制に再編成され、地租改正などで旧来の土地・租税制度が改革されると、農村の体制も農民の経営にも、江戸時代とはかなり変化がみられた。ただ百姓=農民体制はその後も続き、江戸末期から生まれた地主・自作農・小作農を中心とする農村が、その後の多くの変動を伴いながらも今日まで続いてきている。そして江戸時代の百姓の生活共同体であった村は、近代以後も行政村の中の村落として残り続け、今日に至るも各地農村で、労働や生活の共同組織として機能し続けている。したがって江戸時代に確立した百姓=農民の体制は、その背景となった村落とともに今日も形を変えつつも存続しているといえよう。[上杉允彦]
『児玉幸多著『近世農民生活史』(1957・吉川弘文館) ▽中村吉治編『村落構造の史的分析』(1956・日本評論社) ▽原田敏丸著『近世村落の経済と社会』(1983・山川出版社)』

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世界大百科事典内の百姓の言及

【刀狩】より

…農民が所持するいっさいの武具を没収し,武装を禁止する領主側の施策。中世では百姓が武装することは禁止されておらず,去留の自由も認められていた。百姓が侍衆の被官として戦闘に参加する例も多く,土一揆,一向一揆のなかでも武器を手にして戦った。…

【近世社会】より

…このほかに国内に産しない領主層の要求する商品は,オランダ人と中国人に限定された特殊な長崎貿易によって得られるが,それへの対価は領主の手に生産物が入る鉱山の産物や,海産物たる俵物の輸出によって賄われる。
[小農社会の特質]
 ここでいう小農は,ふつう百姓と呼ばれている。百姓という語は古くから用いられているが,戦国期に地下(じげ)百姓などと呼ばれたものが,後の百姓に近い社会的存在となっている。…

【石高制】より

…すべての土地は,田はもちろん,実際には米を生産しない畠・屋敷地も米の収穫高に換算されて石高がつけられ,いっさいが石高に結ばれる。この結果,石高が社会関係の統一的基準となり,武士階級の身分も,たとえば10万石の大名,2000石の旗本,30石の切米取という形で序列化され,百姓が所持する土地も面積ではなく石高で示され,高持百姓と水呑百姓(無高)に区別される。武士階級の主従関係も,知行石高を基準とする軍役を媒介として成立し,百姓が領主に納入する年貢も,所持石高に応じて課せられるように,近世封建社会の内部は,すべて石高を基準として成り立つような形をとる。…

【地侍】より

…地侍はこの村の侍の俗称であり,凡下の上に位置していた。侍はふつう百姓とは別のもの,武士の同義語と考えられがちであるが,〈人夫のことは百姓役なり,百姓の儀においては侍・凡下をいわず,その地につきての役所なり〉(1473年,《大乗院寺社雑事記》)とされたように,村落において領主の耕地をもつかぎり,侍も凡下もともに領主からは百姓とみなされた。 戦国農村の侍には,〈奉公人,物作らず〉(〈河毛文書〉)と〈主をももたず,田畠作らざる侍〉(〈平野荘郷記〉),〈奉公をも仕らず,田畠をもつくらざるもの〉(〈浅野家文書〉)というように,領主を主人にもち軍役をつとめる侍と,主人をもたず軍役をつとめない侍とがあり,村落のなかでは自分では田畠を作らず,とくに前者は夫役などの負担免除の特権を与えられている場合が多かった。…

【士農工商】より

…江戸時代の社会を構成した主要な身分である武士,百姓,職人,商人を指す言葉。四民ともいう。…

【相続】より

…幕府および多くの藩では,相続に際し家禄を増減せず,そのまま相続させる世禄制をとっていたが,藩によっては相続の際,禄高を減少する世減制や,相続人が幼少もしくは養子であるとき,禄高を削減して相続させる幼少減知制,養子減知制などを採用したところもある。(2)百姓 百姓とくに本百姓の相続は,幕藩財政の基盤をなす貢租の担当者が交替することであったから,同じ庶民である町人の場合よりも領主による干渉,規制が多かったが,その程度は領主により差があった。中には相続人の耕作能力を重視し,領主の許可がなければ相続できないとする藩もあったが,幕府や多くの藩では遺言相続が認められた。…

【中世社会】より

…他方,西田直二郎の提唱した文化史学の潮流のなかで,中村直勝は文化・思想・経済の大きな転換期としてこの動乱をとらえ,やや異なった観点に立って先の立場を押し出した。この中村の見方は〈転向〉後の清水三男によって受けつがれ,清水は領主の私的な支配下におかれない百姓とその村落に目を注ぎ,中世社会の公的な側面を明らかにしようと試みたのである。 敗戦後,マルクス主義史家のなかで石母田に対してやや批判的立場に立つ松本新八郎は,平泉らとまったく逆の立場から南北朝の動乱を古代と中世とを分かつ画期ととらえ,永原もその見方の影響をうけている。…

【町人】より

…日本近世における被支配諸身分の中で,百姓や諸職人とともに最も主要な身分の一つ。その基本的性格としては,(1)さまざまな商業を営む商人資本であること,(2)都市における家持(いえもち)の地縁的共同体である町(ちよう)の住民であり,正規の構成員であること,(3)国家や領主権力に対して,町人身分としての固有の役負担を負うこと,などがあげられる。…

【潰百姓】より

…禿百姓とも書き,江戸時代,年貢の未進や負債の累積などにより破産した百姓をいう。年貢諸役の過重取立て,商品経済の農村への浸透などによって農村が疲弊し,災害・凶作・飢饉などを契機にして潰百姓が激増した。…

【殿原】より

…中世における身分の呼称の一つ。平安・鎌倉時代に公家や武家男子の敬称(《入来文書》)や対称(〈北条重時家訓〉)として用いられるが,ひろく中世社会では,村落共同体の基本的な構成員たる住人,村人の最上層を占めて殿原,百姓の順に記され,村落を代表する階層として現れる。名字をもち,殿とか方などの敬称をつけて呼ばれ,〈殿原に仕〉える者をもち(《相良氏法度》),〈地下ノ侍〉(《本福寺由来記》)つまり侍身分の地侍として凡下(ぼんげ)身分と区別され,夫役(ぶやく)などの負担を免除されることもあった。…

【年貢】より

…まず代官所において,検地により確定された石高(こくだか)(または面積)を基準とし,その年の作柄を検見(けみ)した結果にもとづいて年貢納入高を決定する。これを小物成,浮役などと一緒に年貢割付状(可納割付(かのうわつぷ),免状ともいう)に記し,村請(むらうけ)の原則に従って村の名主,惣百姓中あてに下付すると,村では農家の所持石高に比例した高割りによって各戸の賦課高を決定する。この内,村の年貢高を決める方法は,時代によって変化している。…

【幕藩体制】より

…それ自体差別的な序列体系である。 身分制の編成には,中世以来人々の間にひろまっていた百姓=王孫意識が利用された。王孫という表現の中には,人々には貴賤の序列があるという貴・卑種観念と,人々を結びつけているのは血脈に基礎をおき家父長が絶対的な権力をもつという家父長制的家観念が含まれていた。…

【人返し】より

…(1)日本の中世後期,在地領主層や戦国大名のとった欠落(かけおち)者の連れ戻し策。中世後期の社会を通じて広く現れた武家奉公人,百姓,下人などの欠落は,在地領主や土豪の支配や経営の基盤を不安定にしたばかりでなく,逃亡した領民の他領からの連れ戻し問題は,在地領主や土豪相互間の深刻な対立を引き起こす原因ともなった。そのため,室町期の在地領主層は互いに欠落者の拘束と相互返還,つまり人返しを主要な課題として個別に協定を交わしたり,より広く組織的に一揆の契約を結んだりした。…

【兵農分離】より

…中世末期の下剋上の戦乱のなかで,経済的には支配階級に属しながら被支配身分である地侍名主(みようしゆ)百姓などが分解を遂げ,領主―農奴という近世封建社会の基本的階級関係が確定づけられていくが,支配身分としての武士と,被支配身分としての百姓町人などが截然と区別され,武士が他のすべての者を支配し,その原則に基づいて秩序づけられる体制が形成されていく過程を指す。百姓はもちろん,武士も古くから存在していた。…

【平民】より

…(1)古代律令制下で位階官職をもたない一般人民をさした語。百姓,公民,良民と同様な意味で用いられた身分呼称であった。《令義解(りようのぎげ)》で〈家人(けにん),奴婢(ぬひ)〉について〈すでに平民に非ず〉といわれているように,賤民である家人や奴婢は平民身分から除外された。…

【本佐録】より

…江戸初期の成立。天道を知る事,百姓仕置の事など7項目からなる。〈百姓は財の余らぬように不足なきように治むる事道なり〉の文章で著名。…

【本百姓】より

…日本の近世期,領主権力の基礎として掌握された百姓。17世紀前半期には年貢とともに夫役(ぶやく)を負担した役負(やくおい)百姓をさし,1660~70年代(寛文・延宝期)を境にして高請地(たかうけち)を所持する高持百姓をさすようになる。…

【水呑】より

…日本の近世期,農村に居住し,田畑を所持せず,小作地を耕作して独立の生計を立てていた農民。高請地(たかうけち)を所持した高持本百姓に対して,水呑,無高と呼ばれた。独立の生計を営む点で隷属的農民とも奉公人とも区別される。…

【身分階層制】より

… また,村落社会には支配権力によって人為的に設定された身分階層制も形成された。(1)近世における役家=本百姓体制は,夫役・年貢の公的負担者を本百姓として位置づけ,この本百姓のもとに従属農民(名子,被官,家抱,抱百姓,柄在家などその呼び方はさまざまである)の階層が設けられた。これは,支配権力が本百姓を村落の公式の構成員として承認し,その特権や義務を統治目標に従って規定したものである。…

【身分統制令】より

…1591年(天正19)に豊臣秀吉が全国に発布した3ヵ条の法令。侍,中間(ちゆうげん),小者などの武家奉公人が百姓,町人になること,百姓が耕作を放棄して商いや日雇いに従事すること,もとの主人から逃亡した奉公人を他の武士が召し抱えることなどを禁止し,違反者は〈成敗(死刑)〉に処するとしている。朝鮮出兵(文禄・慶長の役)をひかえて,武家奉公人と年貢の確保を目的としたものと思われる。…

【領主制】より

…ややもすれば,武士=領主の賛美に傾きがちとなる領主制理論の欠陥を鋭く突いた重要な指摘であった。今日の学界においては中世農民すなわち平民・百姓の主体性は当然のこととして承認されるに至っている。鈴木の指摘はその先駆をなすものであった。…

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