下河井野村(読み)しもがわいのむら

日本歴史地名大系 「下河井野村」の解説

下河井野村
しもがわいのむら

[現在地名]矢部町下川井野しもがわいの

尾野尻おのじり村の南、上田所かみたどころ村の西に位置し、西境笹原ささわら川が流れる。応仁(一四六七―六九)頃とされる男成宮社頭注文(男成文書)に「下河井野よりハ野部殿御方へ送物にて候」とみえる。慶長国絵図には「下川井野村」とある。「国誌」は中島手永の項に当村を載せるが、「肥集録」や肥後国中寺社御家人名附では矢部手永の項に記されているところから、正徳四年(一七一四)から中島手永に属したが、享保一七年(一七三二)の段階で復帰したまま、中島手永復活に際して戻らなかったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 小村 ジリ

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む