下粟島村(読み)しもあわしまむら

日本歴史地名大系 「下粟島村」の解説

下粟島村
しもあわしまむら

[現在地名]米子市彦名町ひこなちよう

後藤ごとう村の南にあり、南は中海に面する。粟島村地先に成立した新田村。文化一一年(一八一四)以来後藤氏と粟島村との間で争われ、文政二年(一八一九)後藤氏から同村へ譲られた灘筋五〇〇間余が開発されて成立したと推定される(在方諸事控)。粟島村の枝郷で明治二年(一八六九)藩内限り一村に改められ下粟島村となった(藩史)。しかし旧高旧領取調帳では一八〇石余とあり、一村としての扱いは幕末までさかのぼるともみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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