デジタル大辞泉
「枝郷」の意味・読み・例文・類語
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えだ‐ごう‥ガウ【枝郷】
- 〘 名詞 〙 一つの村から分かれた村。一村の地域が広大過ぎたり、新田地帯が一村を形成するまでになったようなとき、さらに、村高を分けて新規に村をたてたりしたときなどに、新しく形成された村を、もとの村(親郷、親村)に対していう。枝村。
- [初出の実例]「属県の枝郡(エタカウ)へ配分して」(出典:四河入海(17C前)一)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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枝郷【えだごう】
中世・近世に開発により新しい村がつくられたり,村高を分割して新村を設立した場合,もとの村を本郷(元郷)とよぶのに対し,新村を枝郷と称した。枝村・子村などともいい,本郷は親郷・親村ともいった。領主からの課税に対しては本郷・枝郷が組郷(組村)をつくり共同で負担した。初めは親郷の力が強いが,のちに農業生産力が上昇し,枝郷が経済的に豊かになると,親郷から独立する動きもみられ,両者の間で紛争が生じることもあった。なお城下町などにおいても親町(幹町)・枝町の関係がみられる。→新田
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枝郷
えだごう
一つの村から分出した村。枝村ともいう。戦国期から江戸期にかけて、新田(しんでん)開発により新部落が形成されたとき、または地域が広大すぎるなどして村高(むらだか)を分けて新村を設けたとき、もとの村を親郷(親村)または本郷(本村)とよび、新しい村を枝郷とよんだ。多くは親郷の組織に属したまま、中世では段銭(たんせん)、棟別銭(むねべつせん)などを負担し、近世では親郷の名主、庄屋(しょうや)の下で、親郷と一括して年貢納入がなされた。
[飯沼賢司]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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枝郷
えだごう
室町時代末期以降江戸時代にかけて,新村落の開発,旧村落の分割などにより新規に一村を建てたとき,もとの村を親郷,親村というのに対して,これを枝郷,枝村と呼んだ。
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