下肱江村(読み)しもひじえむら

日本歴史地名大系 「下肱江村」の解説

下肱江村
しもひじえむら

[現在地名]多度町肱江ひじえ

肱江川の北岸にあるが、以前はこの北東赤沢あかさわ川の近くにあったのを、水害のため、現在地に移ったといわれる。元亀二年(一五七一)五月、長島一向一揆討伐のため岐阜方面より南下した織田信長方の柴田勝家・氏家卜全らの軍勢を、一揆方がよく防ぎ、肱江川を挟んで対陣。地の利を占める一揆勢のため、信長軍は惨敗を喫した。「信長公記」五月一六日の条は「柴田修理見合せ殿候の処、一揆共と差懸け、散々に相戦ひ、柴田薄手を被罷退く。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android