長島(読み)ナガシマ

デジタル大辞泉 「長島」の意味・読み・例文・類語

ながしま【長島】

三重県北東部、桑名郡の地名。木曽川長良川揖斐いびとに挟まれたデルタにあり、かつて七つの輪中わじゅうに分かれ、七島ななしまとよばれた。昭和34年(1959)の伊勢湾台風後、一つの輪中となる。

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精選版 日本国語大辞典 「長島」の意味・読み・例文・類語

なが‐しま【長島】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 形が長くのびている島。
  2. [ 2 ] 三重県桑名市の地名。旧町名。木曾川・長良川・揖斐(いび)川にはさまれたデルタ地帯にあり、長島輪中(わじゅう)を形成する。江戸時代は菅沼・松平・増山氏二万石の城下町。長島温泉がある。

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日本歴史地名大系 「長島」の解説

長島
ながしま

八代海の南端、東シナ海との境に位置する島。周囲八六キロ、面積九一平方キロ。南東は幅一キロに満たない黒之くろの瀬戸を挟んで阿久根市北部と、北西は幅約三キロの長島海峡を隔てて熊本県の天草あまくさ下島と対峙している。天草諸島の一島で、一帯は沈水性の地形を呈し、北に続く伊唐いから島・諸浦しようら島・獅子しし島のほか周辺には多くの島嶼群が散在する。島の基盤をなす古第三系の砂岩・頁岩の互層からなる堆積岩が北部のごく一部にみられるが、大部分は新第三紀の安山岩から構成される。島の中央部には(四〇一・九メートル)行人ぎようにん(三九四メートル)などがそびえ、これらの山々を水源とする幾つもの小河川が周囲に向かって流れる。海岸線には三船みふね浦・浦底うらそこ浦・蔵之元くらのもと浦・加世堂かせどう浦など多くの入江がある。古くは肥後国天草郡に属していたが、中世末頃には薩摩国出水郡に編入されたと考えられる。現在は東半が出水郡あずま町、西半が同郡長島ながしま町の町域である。宝亀九年(七七八)一一月五日に帰国の途に着いた遣唐使第一船は、同月八日暴風雨に遭い、一一日には破船して舳と艫の二つに分れ、主神津守宿禰国麻呂ら五六人を乗せた艫の部分はこしき島に、大伴継人や前入唐大使藤原清河の娘の喜娘ら四一人を乗せた舳の部分は同月一三日に「肥後国天草郡西仲島」に漂着している(「続日本紀」同月一三日条)。この西仲島は当島のことと考えられる。

中世には九州各地に繁栄した大蔵氏の一族が進出、長島氏を号した。


長島
ながしま

[現在地名]上田市大字住吉

東太郎ひがしたろう山南麓で上州沼田ぬまた(現国道一四四号)より分岐し、金剛寺こんごうじ峠を越え、軽井沢かるいさわ村(現小県郡真田町大字傍陽そえひ)を経て松代まつしろ(現長野市松代町)へ向かう松代道沿いの集落。近世には東条ひがしじよう村のうち、長島村とよばれた。

宝永三年(一七〇六)上田藩に提出した小県郡東条村指出帳(上田藩村明細帳)に「長島村」として、百姓総家数五二軒、人数男二〇二人、女一六七人とある。


長島
ながしま

[現在地名]郷ノ浦町長島

珊瑚さんご瀬戸を挟んでおお島の南にあり、東のはる島と合せて渡良わたら三島と称される。南にほとけ崎がある。「壱岐名勝図誌」では大島・春島・長島の三島が渡良村の属島としてみえ、長島は戸数一三、船五。文政一一年(一八二八)当時は田五反余・畑一町七反余・新畑九反余(渡良村田畑畝高人家万書出帳)

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改訂新版 世界大百科事典 「長島」の意味・わかりやすい解説

長島[町] (ながしま)

鹿児島県北西部,出水(いずみ)郡の町。長島,獅子島などの島々からなる。2006年3月東(あずま)町と旧長島町が合体して成立した。人口1万1105(2010)。

長島町東部の旧町。出水郡所属。長島の東半分と伊唐島,諸浦島,獅子島の常住島とそのほか18の島々からなる。人口6955(2005)。九州本土とは黒之瀬戸によって隔てられるが,1974年山門野と阿久根市脇本を結ぶ黒之瀬戸大橋が完成し,島の経済を大きく発展させた。さらに長崎~天草~長島~鹿児島を最短距離で結ぶ観光ルートとなった。80年鷹巣松ヶ平に町営のレジャーランド〈太陽の里〉が開設された。農業は畜産,ミカン,茶の生産が多く,飛躍的に発展した水産業ではタイ,ハマチ,真珠などの養殖業のほか,イワシ類が多獲される。

長島

長島町西部の旧町。出水郡所属。人口5003(2005)。八代海の入口に位置する長島の西半分を占め,大部分が旧期火山岩からなる丘陵地で,西方にゆるい傾斜をなし,畑として耕作されている。海岸線は屈曲に富み,小湾を抱く。集落は沿岸や河川沿いの狭い平地に散在し,中部沿岸の指江(さすえ)が町の中心である。ジャガイモエンドウソラマメ,ミカン,長島ビワなどの栽培が行われ,とくにジャガイモ,豆類は鹿児島県を代表する産地であり,畜産とともに農家経済を支えている。漁業は沿岸漁業のほか,ハマチ,クルマエビ,ヒオウギガイなどの養殖が行われる。黒之瀬戸大橋が開通し,国道389号線と蔵之元港~牛深港(天草下島)間のフェリーを利用する天草~長島~阿久根の観光ルートが脚光を浴びている。指江の指江古墳群,蔵之元の白金崎古墳,鬼塚古墳など古墳が多い。
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長島 (ながしま)

岡山県南東部,瀬戸内海に浮かぶ島。瀬戸内市に属する。面積3.6km2で東西に細長く,本土との間の瀬溝瀬戸(せみぞのせと)には1988年長島大橋が架けられた。古代は官牧であった。1930年にハンセン病国立療養所が設置され,翌年に長島愛生園と改称された。38年には西部にも国立の邑久光明園が置かれた。極限状態に置かれた患者や救護活動に当たる職員は,愛生園の《愛生》,長島詩話会の《裸形(らぎよう)》,光明園の《楓》などの雑誌を舞台にすぐれた文学作品を発表した。それらの中では明石海人の歌集《白猫》(1939),宮島俊夫の小説集《癩夫婦》,玉木愛子の句集《この命ある限り》,愛生園職員の小川正子の手記《小島の春》(1938)などが有名である。
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長島 (ながしま)

鹿児島県北西部の島。面積91km2黒ノ瀬戸を隔てて阿久根市黒之浜と,長島海峡を隔てて熊本県の天草下島と相対し,出水(いずみ)郡長島町に属する。北端は天草島に続く中生代の水成岩層でリアス海岸を形成し,他の大部分は矢岳(402m)を頂点とする古い火山岩の台地である。斜面は耕地となり,豆類,サツマイモの畑作,畜産が営まれ,特にこの地が日本の原生地とされるウンシュウミカンの栽培が盛んである。ハマチやタイの養殖を主体とする漁業も活発である。リアス海岸と周辺の小島群は雲仙天草国立公園に含まれている。
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長島(三重) (ながしま)

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百科事典マイペディア 「長島」の意味・わかりやすい解説

長島(鹿児島)【ながしま】

鹿児島県北西部,八代(やつしろ)海の南端,東シナ海との境に位置する島。面積90.62km2天草(あまくさ)諸島のうちで,沈水性の地形を呈し,北に伊唐(いから)島・諸浦(しょうら)島・獅子(しし)島などがある。南東は幅1kmに満たない黒之瀬戸(くろのせど)を挟み阿久根(あくね)市,北西は幅約3kmの長島海峡を隔て熊本県天草下島と対峙する。大部分は新第三紀の安山岩からなり,最高点は島中央部の矢(や)岳(402m)。古くは肥後国天草郡に属したが,中世末頃に薩摩国出水(いずみ)郡に編入されたとみられ,現在は鹿児島県長島町となっている。 778年に遣唐使船が遭難して漂着した〈西仲島〉は,長島のこととされる。中世には大蔵氏の一族が進出,長島氏を号し戦国期まで支配した。江戸時代は鹿児島藩領で,藩領の北西端に位置したため番所などが置かれた。現在は黒之瀬戸大橋により九州本土と結ばれ,天草〜本土間のフェリーも就航している。ハマチ,タイの養殖を中心とする水産業と,養豚・養鶏・園芸中心の農畜産業が盛ん。島北西部は雲仙天草国立公園に属し,全域が国指定天然記念物カラスバトの生息地となっている。ウンシュウミカン発祥の地,古墳の島としても知られる。
→関連項目東[町]鹿児島[県]

長島[町]【ながしま】

三重県北部,桑名郡の旧町。伊勢湾に注ぐ木曾川長良川にはさまれた低湿な輪中(わじゅう)を占め,水屋,クリークなどがみられる。中心の長島は長島一揆(いっき)(一向(いっこう)一揆)で有名な旧城下町で,関西本線,東名阪自動車道,国道1号線,近鉄名古屋線が通じる。米作,野菜栽培,ノリ養殖が盛ん。南端の長島温泉(アルカリ性単純泉,60℃)は中京の娯楽地。2004年12月桑名郡多度町と桑名市へ編入。31.73km2。1万5503人(2003)。

長島[町]【ながしま】

鹿児島県出水(いずみ)郡,長島と付近の小島を含む町。農漁業が主産業で,ミカン,豆類,イモ類などの栽培が盛ん。畜産も行う。北部は雲仙天草国立公園に含まれ,蔵之元から天草下島の牛深市(現・天草市)へフェリーボートが通じ,本土との間に黒之瀬戸大橋がかかる。2006年3月出水郡町を編入し,町役場を旧東町役場とした。116.13km2。1万1105人(2010)。

長島(岡山)【ながしま】

岡山県南東部,邑久(おく)町(現・瀬戸内市)に属する瀬戸内海上の島。周囲約20kmで東西に長い。東半には1930年光田健輔の指導で設立された長島愛生園,西半には1938年大阪から移転した光明園の二つのハンセン病療養所がある。入園者らの17年にわたる訴えが実を結び,1988年邑久長島大橋が完成した。
→関連項目邑久[町]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「長島」の意味・わかりやすい解説

長島(三重県)
ながしま

三重県北部、桑名郡(くわなぐん)にあった旧町名(長島町(ちょう))。現在は桑名市の東部を占める地域。旧長島町は、1954年(昭和29)町制施行。1955年に楠(くす)村、1956年に伊曽島(いそじま)村を編入。2004年(平成16)多度(たど)町とともに桑名市に合併。木曽(きそ)川と揖斐(いび)川に挟まれたデルタの地域で、名称は、かつて七つの輪中(わじゅう)に分かれていたころ七島(ななしま)とよばれていたのが訛(なま)ったものという。1959年の伊勢湾台風(いせわんたいふう)で全地域が水没し382人の命が失われたのち、地域全体を囲む堤防が完成し一つの輪中となった。JR関西本線、近畿日本鉄道名古屋線、国道1号、23号(名四国道)、東名阪自動車道が通じ長島インターチェンジがある。2002年には伊勢湾岸自動車道の湾岸長島インターチェンジが開設された。1570年(元亀1)願証(がんしょう)寺を中心に長島一揆(いっき)が起こり、近世は長嶋藩の城下であった。全地域が水郷県立自然公園、国営木曽三川(さんせん)公園域で、野鳥の天国として知られる。水田、野菜、花卉(かき)栽培、養魚業などが盛ん。

[伊藤達雄]

『伊藤重信著『長島町誌』2冊(1974、1978・長島町)』


長島(町)
ながしま

鹿児島県北西部、出水郡(いずみぐん)にあり、長島と獅子島(ししじま)、諸浦島(しょうらじま)、伊唐島(いからじま)などからなる町。1960年(昭和35)町制施行。2006年(平成18)東(あずま)町を合併。西は東シナ海で、長島海峡を隔てて天草(あまくさ)島と対し、北は八代海(やつしろかい)に面する。国道389号が通じ、蔵之元(くらのもと)から天草島の牛深(うしぶか)へフェリーが連絡している。歴史は古く、5世紀から7世紀ごろの小浜(おばん)崎・指江(さすえ)・温之浦(ぬくのうら)などの古墳群がある。中世、肥後国天草領に属したが、戦国末期島津氏の勢力拡大により薩摩(さつま)領となる。温暖な気候を利用した園芸作物やミカンの栽培、ブタや肉牛飼育、入り江を利用したブリ・タイの養殖などが盛ん。雲仙(うんぜん)天草国立公園の域内。1974年黒之瀬戸大橋が完成、本土と陸続きになり、天草とを結ぶ観光ルートとなっている。面積116.19平方キロメートル、人口9705(2020)。

[平岡昭利]

『『長島町郷土史』(1974・長島町)』



長島(鹿児島県)
ながしま

鹿児島県の北西端、黒之瀬戸(くろのせと)を挟み、群島をなす天草諸島(あまくさしょとう)中の一島。鹿児島県出水(いずみ)郡長島町に属する。近くに獅子(しし)島、伊唐(いから)島、諸浦(しょうら)島などがあり、これらも同町に属する。北西の長島海峡を隔てて、熊本県天草下(しも)島がある。面積は90.63平方キロメートル、最高点は矢岳の402メートル、周囲はリアス海岸で82キロメートルと長い。北部のごく一部に基盤をなす古第三紀の下島層群がみられるが、大部分は輝石安山岩である。北部一帯は雲仙(うんぜん)天草国立公園に属し、海岸景観が美しい。天草諸島とはフェリーで結ばれ、とくに熊本県天草市牛深(うしぶか)町と蔵之元との間には頻繁な往復便がある。また、黒之瀬戸は約500メートルの幅で八代(やつしろ)海と東シナ海を結んでおり、急瀬をなすが、1974年(昭和49)完成した黒之瀬戸大橋で鹿児島県阿久根(あくね)市と結ばれ、国道389号が通じる。人口1万0770(2000)。

[塚田公彦]


長島(岡山県)
ながしま

岡山県南東部、瀬戸内海に浮かぶ日生(ひなせ)諸島の一島。瀬戸内市に属する。東西に長く、面積3.2平方キロメートル。『延喜式(えんぎしき)』によると官牧の地であった。1930年(昭和5)全国で最初のハンセン病の国立療養所がつくられた。1996年(平成8)に「らい予防法」が廃止され、ハンセン病の隔離予防が行われなくなったが、島の東部の長島愛生園(あいせいえん)と、西部の邑久光明園(おくこうみょうえん)で多くの患者が療養生活を続けている。なお、邑久長島大橋により本土と結ばれている。人口1077(2000)。

[由比浜省吾]


長島(山口県)
ながしま

山口県南東端に位置し、熊毛(くまげ)郡上関(かみのせき)町に属す島。面積13.73平方キロメートル。『延喜式(えんぎしき)』にある「竈合(かまい)馬牧」の島で、北東端の上関港は古くは竈戸関(かまどぜき)ともいい、中世以来海関として知られ、近世には西瀬戸内航路上の要衝として栄えた。上関には町役場がある。沿岸には戸津(へつ)、白井田(しらいだ)、蒲井(かまい)、四代(しだい)の半農半漁の小海村があり、階段耕地が発達し、ミカン畑が多い。本土とは全長220メートルの上関大橋により結ばれる。沖ノ浦、中ノ浦に海水浴場がある。人口2224(2000)。

[三浦 肇]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長島」の意味・わかりやすい解説

長島
ながしま

三重県北部,桑名市東部の旧町域。長良川木曾川に挟まれた河口三角州上に位置し,伊勢湾に臨む。 1954年長島村が町制施行,1955年楠村と合体,1956年伊曽島村を編入。 2004年桑名市,多度町と合体して桑名市となった。地名は中世以来の地名による。元亀1 (1570) 年の願証寺の門徒による長島一揆の地。輪中集落として知られ,かつては多数の輪中に分かれていたが治水と干拓によりしだいに統合され,伊勢湾台風 (1959) 後,全域が一つの輪中となった。米作とナシ栽培などが行なわれるが,1963年南端の湾岸で良質の温泉が発見・開発され,長島温泉と総合レジャーランドの観光地となっている。全域が水郷県立自然公園に属する。

長島
ながしま

鹿児島県北西部,東シナ海八代海の間の島。長島町に属する。矢岳 (402m) を最高点として,ゆるやかな起伏をもつ台地。サツマイモ,タバコ,ミカン,エンドウなどの畑作農業と肉牛飼育がおもな産業。北西部の海岸は雲仙天草国立公園に属する。 1974年完成した黒之瀬戸大橋で阿久根市と結ばれる。面積 91.0km2

長島
ながしま

岡山県南東部,瀬戸内市に属する瀬戸内海の島。東部は花崗岩,西部は古生層の粘板岩からなる。邑久長島大橋で本土と結ばれる。古代には牛馬の放牧が行なわれ,長らく無人島であったが,1930年国立ハンセン病療養所が設立され,現在は長島愛生園,邑久光明園の2療養所がある。面積 3.22km2。人口 1120 (1996) 。

長島
ながしま

山口県南東部,室津半島の先端にある島。上関町に属する。上盛山 (315m) が最高峰で,丘陵性の山地と沿岸の小低地から成る。段々畑と棚田が多く,ミカンを産する。近海ではタイ,イカ,タコ,ボラ,サワラを漁獲。室津半島とは上関大橋で結ばれている。また,柳井港から定期船の便もある。面積 13.45km2。人口 2531 (1996) 。

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デジタル大辞泉プラス 「長島」の解説

長島〔岡山県〕

岡山県瀬戸内市、日生(ひなせ)諸島の鴻島の南方に位置する島。邑久長島大橋で本土と結ばれる。面積約3.52平方キロメートル。古くは牛・馬の放牧地。昭和初期に日本初の国立のハンセン氏病療養施設「長島愛生園」が建設された地として知られる。

長島〔鹿児島県〕

九州、天草諸島の天草下島の南に位置する島。鹿児島県出水郡長島町に属する。面積約90.63平方キロメートル。南部の黒之瀬戸大橋で薩摩半島と結ばれる。温州ミカン発祥の地として知られ、発祥の地記念碑や、日本マンダリンセンターがある。

長島〔長崎県〕

長崎県壱岐市、壱岐島の南西、郷ノ浦港の西沖約3.5キロメートルに位置する島。北に大島、東に原島(はるしま)があり、これらとあわせて“渡良三島(わたらみしま)”と呼ばれる。大島との間に珊瑚大橋が架かる。港付近に神社がある。

長島〔広島県〕

広島県豊田郡大崎上島町、上大崎群島に属する島。面積約1.06平方キロメートル。大崎上島中部の大西港沖に位置し、長島大橋で大崎上島と結ばれている。かつては製塩業で栄えた。大崎発電所がある。

長島〔沖縄県〕

沖縄県名護市、辺野古崎の東沖約0.7kmに位置する無人島。米軍によって建設された「長島灯台」がある。

長島〔長崎県〕

長崎県西海市西彼町、小迎郷の南約1km、大村湾に位置する無人島。真珠の養殖で知られる。

長島〔道の駅〕

鹿児島県出水郡長島町にある道の駅。国道389号に沿う。

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世界大百科事典(旧版)内の長島の言及

【長島[町]】より

…中世には〈河内(かわうち)〉とよばれていた。河内御堂といわれた願証寺に拠った一向宗の門徒が,織田信長軍に激しく抵抗し壊滅した長島一揆の地である。土地が水位より低いため輪中を形成して開発が進められたが,たびたび水害を被っている。…

【恵那[市]】より

…木曾川をはさんで南北にひろがる。1954年大井,長島の2町と東野,三郷,武並,笠置,中野方,飯地の6村が合体して市制。人口3万5687(1995)。…

※「長島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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