日本歴史地名大系 「与兵衛新田村」の解説 与兵衛新田村よへえしんでんむら 埼玉県:羽生市与兵衛新田村[現在地名]羽生市与兵衛新田上・下の弥勒(みろく)村の南東に位置する。もとは同村のうちであったが、同村与兵衛が開発して移り住んだと伝える(風土記稿)。元和七年(一六二一)の寄西郡羽生之内弥勒新田御縄打帳(秋山家文書)にも「案内与兵衛」と記される。寛永八年(一六三一)の検地帳(同文書)には弥勒新田村、正保四年(一六四七)の検地帳(同文書)には与兵衛新田村と村名がみえる。前掲元和七年の御縄打帳によると、検地奉行は市河孫右衛門。田園簿によれば幕府領、田高一二石余・畑高一二〇石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by