検地奉行(読み)けんちぶぎょう

山川 日本史小辞典 改訂新版 「検地奉行」の解説

検地奉行
けんちぶぎょう

縄奉行とも。検地を執行する責任者。竿入(さおいれ)をし,田畑の上下の品等を定めた。封建制下の検地は土地・人民の支配を明確にするもので,執行にあたっては公正・厳正を要求された。また豊臣政権期には在地給人や農民らの抵抗があり,反抗する者は「なで斬り」にせよと指示された。複数任命される場合が多く,その上に全体を統轄する惣奉行がおかれた。江戸幕府では勘定奉行が惣奉行的役割をはたした。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の検地奉行の言及

【検地】より

…秀吉は戦国大名以来の検地を発展的に継承し,全国征覇の過程で征服した大名の領地を厳格な態度でつぎつぎに検地していった。検地の実施に際しては,本来の領主とは異なる人物を検地奉行に任命し,その奉行が下役を率い直接現地におもむいて指揮した。まず村の境界を定め,1村単位で土地1筆ごとに面積を測り,等級を定め,斗代をかけて石高(玄米の公定収穫量)を決め,耕作者であり年貢負担者となる名請人1人を定め,以上の結果を村の総石高とともに検地帳(水帳ともいう)に記載した。…

【検地条目】より

…この条目の内容がその後の太閤検地に適用され,ほぼ全国統一的な規準となった。内容は,(1)6尺3寸(約190.9cm)=1間,5間(約9.55m)×60間(約114.53m)=300歩=1反,(2)地目は田・畑・屋敷地,地位は上・中・下・下々,(3)上田1石5斗など各種斗代の基準,(4)村切の実施,(5)京枡の使用,(6)検地奉行以下の非法禁止,などこまかな規定となっている。 江戸幕府は開幕以来全国の総検地を企画し,慶長・元和期(1596‐1624)に大久保長安(石見検地),彦坂元正,伊奈忠次(備前検地)らを検地奉行とし各地の検地を行っているが,ここでは従来の6尺3寸=1間を6尺(約181.8cm)=1間の新基準に改変した。…

※「検地奉行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」