丑寅村(読み)うしとらむら

日本歴史地名大系 「丑寅村」の解説

丑寅村
うしとらむら

[現在地名]茨木市丑寅一―二丁目・蔵垣内(くらかきうち)二―三丁目・大正(たいしよう)町・横江(よこえ)一―二丁目・島(しま)四丁目、摂津市昭和園(しようわえん)など

宇野辺(うのべ)村の南にある。慶長一〇年(一六〇五)の摂津国絵図に「丑(ママ)村」とみえる。江戸時代中頃まで三宅(みやけ)村の一小村で、元禄郷帳に「三宅丑寅村」とある。三宅村から分村した後、丑寅村は元文年間(一七三六―四一)から大和芝村藩預地となったが(古木家文書)、村高二二九石余のうち二一四石余は延享四年(一七四七)以後閑院宮家に与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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