東京都三宅支庁、伊豆諸島の三宅島1島からなる村。中央に雄山(おやま)(775メートル)がある。北端の神着(かみつき)が中心集落で三宅支庁(三宅村と御蔵島(みくらじま)村を含む)が置かれ、島役所跡、気象庁三宅島特別地域気象観測所などがある。村役場は東岸の三池(みいけ)(2022年現在は島西部の阿古(あこ)地区に臨時庁舎を置く)にある。その近くに三宅島空港があり調布と結ばれているほか、大島、御蔵島との間にヘリコミューターが就航している。全村が富士箱根伊豆国立公園に属し、1962年(昭和37)雄山噴火による溶岩原や、今崎などの大断崖(だんがい)、多種類の野鳥など観光資源に富む。島の東側に三池港(1964)、西側に阿古港(1965)ができ大型船の接岸が可能となり、東京竹芝、御蔵島、八丈島との間に連絡船が就航。1983年雄山がふたたび噴火し、阿古地区が溶岩流で焼失した。災害復興に伴い米軍艦載機の夜間発着訓練(NLP)基地建設が計画され、建設反対運動が起きた。さらに2000年(平成12)6月地震活動が活発化、8月18日に雄山でこれまでで最大規模の噴火があり、29日には火砕流も発生して9月2日全島避難指示が出され、それに伴い空路、船便ともに休航(2003年1月防災関係者、一般島民のための定期船再開)、島民は長期の避難生活を余儀なくされた。2005年2月1日避難指示は解除、同年5月より観光客の受入れを再開した。その後、火山ガスの放出量は減少し、近年は少ない状態で推移している。面積55.26平方キロメートル、人口2273(2020)。
[沢田 清]
奈良県北西部、磯城(しき)郡の町。1974年(昭和49)町制施行。奈良盆地のほぼ中央に位置し、大和(やまと)川の支流飛鳥(あすか)川、曽我(そが)川、寺川下流域に開かれた水田農業地帯。地名は、古代皇室直営田倭屯田(やまとのみた)に関係する三宅連(みやけのむらじ)に由来するという。近畿日本鉄道田原本(たわらもと)線、橿原(かしはら)線が通じる。主産業の農業が衰え、皮革加工業(運動具)を中心に各種中小商工業が急速に発達し、また宅地造成が行われた。石見(いわみ)地区ではイチゴ栽培が行われる。面積4.06平方キロメートル、人口6439(2020)。
[菊地一郎]
『『三宅町史』(1975・三宅町)』
奈良県北西部,磯城(しき)郡の町。1974年町制。人口7440(2010)。奈良盆地中央部に位置し,大和川支流の寺川,飛鳥川,曾我川が北西に流れる。米作や野菜,イチゴ,スイカなどの栽培が盛んな農業地帯であったが,住宅団地造成などにより人口も増加し,皮革加工業が盛んである。特に皮革製品の運動具の生産は全国でも有数の産地で,海外にも輸出される。多数の埴輪が出土した石見(いわみ)遺跡,前方後円墳の瓢簞山(ひようたんやま)古墳,寺の前古墳などがある。町内を近鉄橿原(かしはら)線・田原本(たわらもと)線が通じる。
執筆者:松原 宏
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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