日本歴史地名大系 「三宅村」の解説
三宅村
みやけむら
- 大阪府:松原市
- 三宅村
阿保村・
明応二年(一四九三)畠山基家を討つため、将軍足利義稙が
三宅村
みやけむら
- 大阪府:茨木市
- 三宅村
江戸時代初期の村名で三宅郷ともいう。茨木川下流西岸から
三宅村
みやけむら
嘉禎四年(一二三八)四月一七日付の伊都岐島社廻廊員数注進状案(新出厳島文書)に記す「三宅兵衛尉」は、当地の地名を冠したものと考えられる。「房顕覚書」の大永三年(一五二三)の記事に「未ノ年石道小幡興行防州家タルニ付而、佐東衆神領ヨリ取懸、武略ニ和談シ、三宅円明寺マテ落城、彼寺家ニテ親類八人腹切ルヽ」とあり、厳島社神主職の継承争いで、当地がその戦場となっている。
三宅村
みやけむら
東は三宅川が南流し、西は
「新編一宮市史」によると屯倉は
三宅村
みやけむら
戦国時代は三宅氏がこの地に三宅城を築いて拠ったが(→三宅西条城跡)、永禄一二年(一五六九)織田信長に滅ぼされる。文禄検地帳(徳川林政史蔵)では田畠屋敷合一〇一町八反で、田七〇町余のうち六〇町余は上田が占め、良田地帯である。関ヶ原役の翌慶長六年(一六〇一)には、村の一部一六四・三四〇石が
三宅村
みやけむら
三宅村
みやけむら
三宅村
みやけむら
- 宮崎県:西都市
- 三宅村
三宅村
みやけむら
三宅村
みやけむら
三宅村
みやけむら
- 島根県:浜田市
- 三宅村
三宅村
みやけむら
- 兵庫県:豊岡市
- 三宅村
三宅村
みやけむら
三宅村
みやけむら
三宅村
みやけむら
- 滋賀県:守山市
- 三宅村
三宅村
みやけむら
三宅村
みやけむら
- 千葉県:銚子市
- 三宅村
三宅村
みやけむら
- 東京都:三宅支庁
- 三宅村
三宅島および
三宅村
みやけむら
三宅村
みやけむら
三宅村
みやけむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報