日本歴史地名大系 「並塚村」の解説 並塚村ならびつかむら 埼玉県:北葛飾郡杉戸町並塚村[現在地名]杉戸町並塚才羽(さいば)村の北、堤根(つつみね)村の東に位置し、村の東部を関宿(せきやど)往還が通る。田園簿に並塚新田とみえ、田高三九三石余・畑高九五石余で、幕府領。「風土記稿」成立当時には幕府領のほか、旗本柘植領と相州小田原藩領となっており、家数は七二。同書にみえる神扇(かみおうぎ)落堀は庄内古(しようないふる)川に排水する悪水落し。日光道中の往還通掃除町場は本郷(ほんごう)村地内二一三間・堤根村地内二〇間で(宿村大概帳)、杉戸宿の助郷村であった(享保八年「杉戸町助郷帳」長瀬家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報