中和泉新田(読み)なかいずみしんでん

日本歴史地名大系 「中和泉新田」の解説

中和泉新田
なかいずみしんでん

[現在地名]木曾岬村中和泉・さかえ

鍋田なべた川下流西岸、北に和泉新田、東に冨田子とみだね新田、西に小和泉こいずみ新田がある。寛文一二年(一六七二)藩主松平(久松)良尚の時、和泉新田の南に付添えて富田彦兵衛によって開発された。「長島新田墨引絵図(二番)」には、中和泉新田は亡所と書かれているが「同(三番)(ともに徳川林政史蔵)に記されているので享保一六年(一七三一)には再開発されたと思える。

宝暦四年(一七五四)四月、鍋田川中和泉新田の築堤工事に当たっていた美濃出身の幕吏内藤十左衛門は、工事不行届の責任をとり割腹した(「蒼海記」岐阜県史史料編)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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