中桜井村(読み)なかざくらいむら

日本歴史地名大系 「中桜井村」の解説

中桜井村
なかざくらいむら

[現在地名]佐久市大字桜井

東は上桜井かみざくらい村、南は三塚みちづか村・小宮山こみやま村、西は下桜井村、北は桜井新田村に境する。富岡とみおか(現国道二五四号)はおおむね村東西に通じ、集落はこの道の南側に展開する平坦な地域である。

寛永一三年(一六三六)の信州佐久郡子ノ年御改付御帳(文部省史料館蔵)に「高三百三拾五石八斗七舛 取米百三拾弐石五斗六舛 中桜井村」とある。仙石氏の後を受けて元和八年(一六二二)から徳川忠長領となり、幕府領・甲府領・再び幕府領となり、元禄一五年(一七〇二)から下県しもがた領、明和二年(一七六五)から再び幕府領となって明治を迎える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む