中桜井村(読み)なかざくらいむら

日本歴史地名大系 「中桜井村」の解説

中桜井村
なかざくらいむら

[現在地名]佐久市大字桜井

東は上桜井かみざくらい村、南は三塚みちづか村・小宮山こみやま村、西は下桜井村、北は桜井新田村に境する。富岡とみおか(現国道二五四号)はおおむね村東西に通じ、集落はこの道の南側に展開する平坦な地域である。

寛永一三年(一六三六)の信州佐久郡子ノ年御改付御帳(文部省史料館蔵)に「高三百三拾五石八斗七舛 取米百三拾弐石五斗六舛 中桜井村」とある。仙石氏の後を受けて元和八年(一六二二)から徳川忠長領となり、幕府領・甲府領・再び幕府領となり、元禄一五年(一七〇二)から下県しもがた領、明和二年(一七六五)から再び幕府領となって明治を迎える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android