日本歴史地名大系 「佐久市」の解説 佐久市さくし 面積:一九三・一五平方キロ長野県の東部に位置し、旧佐久郡のほぼ中央、佐久平の中心部を占める。東は関東山地で群馬県甘楽(かんら)郡に接し、南は南佐久郡、北は北佐久郡・小諸(こもろ)市に接し、西は北佐久郡川西(かわにし)地方である。市のほぼ中央部を千曲川が西北流し、その北側は主として浅間山の火山灰地帯で、南側は千曲川の沖積平野から、南西の蓼科(たてしな)山麓へと続く。市域の灌漑は千曲川の支流湯(ゆ)川・滑津(なめづ)川(その支流香坂(こうさか)川・志賀(しが)川・内山(うちやま)川)・片貝(かたかい)川・濁(にごり)川によって大部分がまかなわれる。〔原始〕旧石器時代の尖頭器が平尾(ひらお)山西麓、菖蒲平(しようぶだいら)地籍に出土している。縄文時代に入るとその遺跡は横根(よこね)・平尾・新子田(あらこだ)・香坂・志賀・瀬戸(せと)・大沢(おおさわ)・前山(まえやま)・小宮山(こみやま)・五本木(ごほんぎ)など主として丘陵地に広く分布しているが、住居跡は後沢(うしろざわ)で発掘されているだけである。弥生時代から古墳時代になると、生活の舞台は丘陵地から平坦地へと拡大し、弥生時代の住居跡は後沢・深堀(ふかぼり)・戸坂(とざか)・北近津(きたちかつ)・一本柳(いつぽんやなぎ)などで確認され、古墳時代のそれは市道(いちみち)・儘田(ままだ)・町田(まちだ)など千曲川の沖積平野にも及んでいる。古墳は塚原(つかばら)古墳群・三河田大塚(みかわだおおつか)古墳・安原大塚(やすはらおおつか)古墳をはじめとする平尾山西麓の古墳群が主なものである。〔古代〕「和名抄」記載の信濃国佐久郡大井郷は現岩村田(いわむらだ)近辺、刑部(おさかべ)郷は現野沢(のざわ)・跡部(あとべ)の辺りとされており、「青治」(青沼)の一部も市域にあったといわれる。「延喜式」記載の官道以前の東山道は、雨境(あまざかい)峠(現北佐久郡立科町)から春日(かすが)(現北佐久郡望月町)を経て下県(しもがた)で千曲川を渡り、湯川沿いに碓氷(うすい)坂(現北佐久郡軽井沢町入山峠近辺)へ出たものと考えられている(北佐久郡志)。一方荒船(あらふね)山の荒船神社は大間(おおま)に里宮、相立(あいだて)に遥拝所を持つ古い姿の社で、「神道集」には上野国の一の宮貫前(ぬきさき)神社(現群馬県富岡市)との関係を示す説話があるから、荒船山西方の内山峠越えの上信交通路の存在が考えられる。「延喜式」神名帳の「英多(エタノ)神社」は現安原(やすはら)の英多神社といわれている。〔中世〕古代末期から中世初期にかけて、市域に勢力をもったのは滋野氏の一族で、治承四年(一一八〇)木曾義仲の旗揚げとともにその軍中にあった根井行親(参考源平盛衰記)、同年以仁王の挙兵にあたり、回宣の沙汰を受けた平賀盛義ら平賀氏(同書)、のちに更級(さらしな)郡牧之島(まきのしま)(現上水内(かみみのち)郡信州新町)や伊那郡大河原(おおがわら)(現下伊那郡大鹿村)に移った香坂氏らがあった。滋野氏一族の衰退に伴い大井(おおい)庄の地頭大井氏、伴野(ともの)庄の地頭伴野氏の力が伸張する。 佐久市さくし 2005年4月1日:佐久市と南佐久郡臼田町、北佐久郡浅科村・望月町が合併⇒【臼田町】長野県:南佐久郡⇒【佐久市】長野県⇒【浅科村】長野県:北佐久郡⇒【望月町】長野県:北佐久郡 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐久市」の意味・わかりやすい解説 佐久〔市〕さく 長野県東部,佐久盆地と蓼科山の北斜面を占める市。東で群馬県に接する。 1961年浅間町,野沢町,中込町の3町と東村が合体して市制。 2005年臼田町,浅科村,望月町と合体。中心市街地は北部の岩村田と南部の野沢,中込などに分散している。西部の望月や八幡は近世中山道の宿場町。市街地には機械工業が進出しており,清酒醸造を主とする食品,木材家具工業も発達。農村部では千曲川沿いの低地で米作が行なわれるほか,リンゴなどの果樹,花卉,高原野菜が栽培される。薬用ニンジンと佐久鯉を特産。旧中込学校校舎 (国指定重要文化財・史跡) ,竜岡城跡 (国指定史跡) などの文化財や,金台寺 (一遍上人絵伝は国指定重要文化財) などの古社寺が多く現存する。岩村田のヒカリゴケ産地は国の天然記念物。東部は群馬県境の山地で,妙義荒船佐久高原国定公園に属し,別荘団地が造成されている。また西部は八ヶ岳中信高原国定公園に属する。 1997年北陸新幹線が開通。 JR小海線,国道 141号線 (佐久甲州街道) ,142号線,254号線 (富岡街道) が通り,上信越自動車道のインターチェンジがある。面積 423.51km2。人口 9万8199(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by