桜井新田村(読み)さくらいしんでんむら

日本歴史地名大系 「桜井新田村」の解説

桜井新田村
さくらいしんでんむら

[現在地名]佐久市大字桜井

北は千曲川を隔てて今井いまい村・下中込しもなかごみ村、東は跡部あとべ村・上桜井かみざくらい村、南は中桜井村、西は下桜井村に接する。千曲川の段丘下の川岸近くに展開する集落である。

承応元年(一六五二)跡部次郎右衛門が新田開発を願い出、同二年より開墾を始め、明暦三年(一六五七)に五一・五八九石の縄請を受け、桜井新田村として発足した。寛文六年(一六六六)の一ヵ年は中桜井新田村と称している。元禄一四年(一七〇一)幕府領、翌一五年より下県しもがた陣屋旗本松平又四郎知行所支配、正徳三年(一七一三)より幕府領、延享元年(一七四四)松平丹波守御預所、天明五年(一七八五)から幕末まで幕府直轄領であった(桜井新田誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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