中茎郷(読み)なかくきごう

日本歴史地名大系 「中茎郷」の解説

中茎郷
なかくきごう

中釘なかくぎに比定される中世の郷。荒川左岸に位置する。建武元年(一三三四)一一月二〇日の太政官符写(壬生家文書)に「中茎郷」とみえ、同郷の領家職は山城国御室戸みむろど(三室戸寺、現京都府宇治市)の羅惹院尊星王護摩料所に宛てられている。応永五年(一三九八)三月一〇日、鎌倉公方足利氏満は古尾谷八郎四郎泰幸の訴えを棄却して、長井次郎左衛門尉跡の当郷地頭職を鎌倉の建長寺塔頭大統庵領として安堵している(「足利氏満御判御教書」雲頂庵文書)。次いで同三四年一二月二〇日には鎌倉公方足利持氏が長井下野守憲盛にいったん宛行った当郷を返付させ、明徳三年(一三九二)五月一六日に当郷を寄進された郷内の本願寺に安堵している(「足利持氏御判御教書案」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android