日本歴史地名大系 「丸ヶ崎村」の解説 丸ヶ崎村まるがさきむら 埼玉県:大宮市丸ヶ崎村[現在地名]大宮市丸ヶ崎・丸ヶ崎町・東大宮(ひがしおおみや)・春野(はるの)・深作(ふかさく)島(しま)村の北に位置する。西半は大和田片柳(おおわだかたやなぎ)支台の北東端にあたり、東半は綾瀬川の沖積低地。台地東部の突出部分を切取るようなかたちで見沼代用水(東縁)が流れる。東は綾瀬川を挟んで埼玉郡平林寺(へいりんじ)村(現岩槻市)。村の南東方の深作村の内に持添新田がある。南部(なんぶ)領に属した(風土記稿)。元和三年(一六一七)五月稲生次郎左衛門(正信)は徳川氏から「円笠木・堀崎」で合せて一四四石余を与えられている(「徳川秀忠朱印状」稲生家文書)。寛永二年(一六二五)九月には大久保新八郎(康村)が「南符丸ケ崎村」で二〇〇石を宛行われ、同年一〇月には大久保久六郎(忠重)が「丸ケ崎村之内」で、大久保九郎兵衛尉(忠元)が「丸ケ崎村」で、それぞれ一〇〇石を徳川氏から与えられている(記録御用所本古文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by