精選版 日本国語大辞典 「旗本」の意味・読み・例文・類語
はた‐もと【旗本】
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江戸時代1万石未満の幕臣の総称。将軍と謁見する資格のある者を旗本といい、ないものを御家人(ごけにん)という。もともと征夷(せいい)大将軍の唐名を幕下(ばっか)といい、旗本は帷幕(いばく)と軍旗を守る将士の意味で一般に使用された。江戸初期には旗本の語意は幕臣一般の総称として使われ、御家人との区別は明確でなかったが、17世紀後半以降、両者を分ける風が定着していった。公式文書では御目見(おめみえ)以上と書くことが多い。総数は約5200家。ほかに御家人は約1万7000家に上った。三河以来の譜代(ふだい)の士や分家、織田(おだ)氏や豊臣(とよとみ)氏以来の旧家の子孫や学問技芸により新たに召し出された者など多様な家で構成されていた。
[佐々悦久]
旗本の俸禄(ほうろく)には知行取(ちぎょうとり)と蔵米取(くらまいとり)があった。知行取は実際に領地が与えられるもので、蔵米取は直轄領から収納した蔵米のなかから決まった額の米を支給されるものである。知行取は武家本来の知行形態のあり方として意識され、望む者が多かった。このため大名の家臣では18世紀以降になると蔵米取が大部分を占めるのに対して、旗本の場合には知行取も多い。18世紀後半の知行取は2908人・275万石余、蔵米取は2030人・45万俵余となっている。蔵米取にはさらに切米(きりまい)取、現米(げんまい)取、扶持米(ふちまい)取の3種類があった。もっとも多いのが切米取で、俵高で示された。たとえば切米100俵は、1俵3斗5升の割合で計算され35石の米が幕府の米蔵から支給された。階層的には100俵から500俵が中心である。
[佐々悦久]
旗本は江戸集住を原則とし武家諸法度(ぶけしょはっと)などにより幕府の統制を受けた。非役の者も多く、家禄の高と由緒に応じて交替寄合(こうたいよりあい)、寄合、小普請(こぶしん)などの溜(たまり)の役に編成され、無役御役金を上納することとされた。就職・昇進は寄合と小普請で異なり、家柄や家禄、父親の勤功、本人の特技などにより決定された。寄合は布衣(ほい)に相当する格式をもち、番士となることは少なく、中奥小姓(なかおくこしょう)などの役職についた。小普請の場合、そのなかに両番筋、無筋、大番筋などの番方各職に対応する家格があり、これにしたがって番士となるのがもっとも一般的である。
[佐々悦久]
知行取の旗本を地頭(じとう)といい、その領地を知行所、地頭所といった。知行所は近世を通して46か国にわたって分布している。うち約8割が関東地域に集中し、畿内(きない)、東海地域の順となっている。知行所はひとまとまりに与えられるのでなく、数か村に分散したり、相給(あいきゅう)といい一村を複数の領主で支配するのが一般的である。支配は陣屋か、もたない場合は有力な村役人を在役(ざいやく)に任命して行った。行政や司法は幕府に準拠して行われたが、なかには知行所法度を定めて基本法とした所もある。家臣は幕府の軍役規定に応じて抱えられたが、実際はずっと少なく、必要なときは日雇いにするか知行所に勤めさせた。財政は知行規模が小さいため初期から困窮し、近世を通してそれが恒常化していることが多い。
[佐々悦久]
『新見吉治著『旗本』(1967・吉川弘文館)』▽『鈴木寿著『近世知行制の研究』(1971・日本学術振興会)』
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
将軍の直臣で1万石未満・御目見(おめみえ)以上の者。寛政頃の総人数は約5200人ほど。このうち地方(じかた)知行取は約4割程度で,知行高では500~3000石の者が6割を占め,知行地は関東・中部・近畿地方に多い。3000石以上の者は,知行地に陣屋をおき農民支配を行った。旗本は江戸在府で,幕府から下付された拝領屋敷に家族と用人以下の家臣とともに居住した。幕府の役方・番方の諸役について,その吏僚機構の主軸を構成。勘定奉行や町奉行などの重職に就任すると従五位下に叙されて大名と同等の格式となり,幕政の枢機に参画する。しかし非役の者も多く存在し,3000石および布衣(ほい)以上は寄合組,それ以下は小普請組に編入された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…このように私的に発生した武力を全国的規模において公的に組織した権力という鎌倉幕府の基本的性格は,室町幕府を経て江戸幕府にも受け継がれている。近世においては,大名,旗本あるいはその家臣たちの所領支配と武力の私的性格は極限的にまで失われていたが,彼らはなお独立した戦闘単位としての性格を保存しており,彼らを公的な軍隊に編成・統制するところに江戸幕府の将軍権力の本質があった。 次に頼朝が直接動員しえたのは彼と主従関係を結んだ御家人だけであり,当時の社会には朝廷,寺社,国衙などと結ぶ諸勢力が広範かつ強固に存在し,武士であっても頼朝と主従関係にない非御家人は幕府の統制外にあった。…
…これによって官位を通じて武家の統制が可能になった。そのほか大名,旗本の江戸城内の詰所,大名の城の有無など,いずれも家の格式を表示するものとして考えられるようになる。そのほかにも行列に立てる飾り道具や乗物までが家によって規制されていた。…
…江戸幕府が旗本・御家人を対象として発布した法令。万石以上の大名に対して出された武家諸法度に対応するもので,1635年(寛永12)3代徳川家光のとき,64年(寛文4)4代家綱のときの2度出された。…
…【石井 紫郎】
[近世領主の知行]
江戸時代の領知・知行は,領主の領地に対する支配権をいう。近世の知行は,室町時代に形成された大名領地の一円知行を継承したものといってよいが,戦国大名領の知行がみずからの相続,購入,割譲などによって形成されてきたのに対し,江戸期領主(大名,旗本)の知行は,日本全土を領有する将軍から朱印状によって領地を宛行,または安堵されることによって成立した。したがって,みずからの意に反し,将軍(幕府)の意向で知行の没収(改易),知行高の削減(減封),もしくは知行地の変更(転封,国替)を余儀なくされることもあった。…
…御料は幕府直轄領(天領)であり,佐渡,足尾,石見などの主要鉱山や,大坂,京都,江戸,長崎などの主要都市もその中に含まれていた。私領は公儀と主従関係にある部将に預けられた知行地で,その部将の公儀との間の位階制的序列によって,大名領(大名),旗本領(旗本)に区分された。約270にのぼる大名の中にも,加賀前田氏のような100万余石の国持大名から,1万石前後までの小大名があり,また,三家以下,譜代,外様などの格による区別もあったが,それらの大名は,みずからの家臣団を抱え,その家臣=給人(きゆうにん)に,位階制的な主従関係に基づいて知行=給人知行を与えた。…
…江戸幕府の大番頭(役高5000石),書院番頭(同4000石),小性組番頭(同)が諸藩の番頭にあたる。いずれも諸大夫(しよだいぶ)の格であり,側衆(そばしゆう)(役高5000石),留守居(るすい)(同)と並んで,旗本の役職中最高の格式を誇った。【北原 章男】。…
…その際自己の所領の一部を分与し,独立した武士として幕府や藩に仕えさせるが,この分家を分知配当による分家という。分知には2種類あり,その一つは上級領主に公認されて正式に大名,旗本,藩士に取り立てられ,所領の宛行状を交付される場合と,上級領主に公認されながらも宛行状を交付されない場合とがある。通常前者が狭義の分知で,後者を内分(うちわけ)と称する。…
…江戸時代,大名・旗本の家臣で,家政の中枢に位置した役人。財務,礼式,記録などを管理し,諸役人に法令を伝達し,近習,小姓,医師,儒者,右筆などを支配した。…
…(1)江戸幕府の役職。旗本役の最高で,役高5000石。城主格の待遇を受け,次男まで将軍の御目見を許され,下屋敷を拝領した。…
※「旗本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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