河村(読み)カワムラ

日本歴史地名大系 「河村」の解説

河村
かわむら

[現在地名]守山区川(かわ)・川村(かわむら)町・川北(かわきた)町・川宮(かわみや)町・西川原(にしがわら)町・川上(かわかみ)町・白沢(しらさわ)町・城土(しろつち)町・松坂(まつさか)町

川村とも書く。北を庄内川が流れ、その南岸に沿って細長く東西に延びている。西を幸心(こうしん)村と接する。寛文一一年(一六七一)の家数三二、人数男一九七・女二〇四(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田は一七町五反余、畑は二二町四反三畝余で、概高六五八石余のほとんどが藩士一〇人の給知。村は東島・西島・北島の三区に分れ、北島の柳原(やなぎはら)は新田である。人口が多く耕田が不足したので、毎年農閑期には八〇人ほどが品野(しなの)村(現瀬戸市)で炭を買出し、名古屋へ売りに出て生活の助けとしていた。


河村
やりこうむら

[現在地名]美津島町久須保(くすぼ)

久須保村の近くにある同村枝郷。元禄一六年(一七〇三)の対州郷村帳では久須保村内として肝入一人であることから、久須保一村であったと考えられる。「津島紀事」に鎗河とあり、久須保村の三ヵ所の一つという。


河村
かわむら

[現在地名]鶴岡市苗津町(なえづまち)

苗津村の南西にある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に河村興屋(かわむらこうや)村とあり、高一五四石余。寛永元年庄内高辻帳に村名がみえ、高一五三石余。正保郷帳では苗津村に含まれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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