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見沼代用水 みぬまだいようすい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

見沼代用水
みぬまだいようすい

埼玉県東部をほぼ南北に縦断する用水路。幹線水路延長 84km。利根大堰より利根川の水をとり,ほぼ南に走り,川口市内で荒川に合流する。江戸時代初期,県南の水田灌漑用に見沼溜井が設けられたが,享保12(1727)年干拓されて水田になり,代わりの用水を得るため建設された。

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百科事典マイペディアの解説

見沼代用水【みぬまだいようすい】

埼玉県東部を灌漑(かんがい)する大用水路。行田市下中条で利根川から分水し,県東部の低地と東京足立区の一部を流下する。延長84km,灌漑面積約1.7万ha。1728年完成。
→関連項目騎西[町]埼玉[県]菖蒲[町]白岡[町]見沼[区]

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世界大百科事典 第2版の解説

みぬまだいようすい【見沼代用水】

江戸中期,武蔵国足立郡(現,埼玉県大宮市,浦和市付近)の見沼干拓に伴い開削された灌漑用水江戸幕府享保改革の一政策として,1722年(享保7)に日本橋に高札を掲げ新田の開発を奨励し,町奉行大岡忠相(ただすけ)に武蔵野の開発を命じ,勘定奉行筧正鋪(かけいまさはる)に新田方掛を新設させた。新田方は翌年には勘定組頭2名と勘定5名が発令され,その中に紀州から呼ばれた井沢弥惣兵衛為永がいた。井沢らはおもに湖沼の干拓に当たったことで知られ,武蔵の見沼,下総の手賀沼や飯沼,越後の紫雲寺潟などの干拓事業が有名である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

見沼代用水
みぬまだいようすい

埼玉県東部から南部の水田地帯を流れる関東平野最大の農業用水。幹線水路延長84キロメートル、灌漑(かんがい)面積1万7000ヘクタール。江戸中期、井沢弥惣兵衛(やそべえ)によって掘削された。名称は、新田開発のために干拓された見沼溜井(ためい)に代わる用水の意である。行田(ぎょうだ)市下中条(しもちゅうじょう)付近の利根(とね)川右岸に取水口をつくり、途中、星川の流路の一部を使い、元荒川や綾瀬(あやせ)川は伏越(ふせごし)といわれるサイホンで立体交差し、末端の見沼付近で東縁(ひがしべり)・西縁用水に分かれる。さらに東縁用水は川口市から東京都に至り、西縁用水は大宮台地を切って高沼用水として荒川に達する。利根大堰(おおぜき)ができてから、旧取水口は閉鎖され、大堰から毎秒45トンの水を供給するようになった。[中山正民]

開発史

1629年(寛永6)関東郡代伊奈(いな)半十郎忠治(ただはる)が、武蔵(むさし)国足立(あだち)郡大間木(おおまぎ)村(現さいたま市緑区)に八丁堤を築いて造成した見沼溜井は、下流8か領221か村の水源として5000ヘクタールの水田を灌漑した。しかしこれにより沼周辺の地は水没し、上流は排水不良、下流は用水不足に悩まされた。享保(きょうほう)年間(1716~1736)の幕政改革による新田開発奨励策のもとで、これらの問題を解決し、あわせて溜井干拓による新田開発を目的として代用水路の開削が計画され、幕府勘定吟味(かんじょうぎんみ)役井沢弥惣兵衛為永(ためなが)に施工が命ぜられた。為永は1725年(享保10)溜井を検分、翌年測量に着手、1727年10月から1728年の2月までの5か月間で、延長84キロメートルに及ぶ大工事を完成させた。取水口には巨大な木造樋管(ひかん)を設け、途中、星川を利用して用水を導き、他の河川と交差する所では懸樋(かけどい)を架けるなど、さまざまな技術が駆使された。一方この工事と並行して見沼中悪水路(なかあくすいろ)(芝川)が掘削され、溜井の干拓が行われ、周辺を含めて新たに1800町歩の新田が開かれた。なお、為永は1731年に八丁堤の北で東・西縁用水と芝川を結ぶ通船堀を開き、舟運の便を図った。[大村 進]
『見沼土地改良区編・刊『見沼代用水沿革史』(1957)』

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