丸林村(読み)まるばやしむら

日本歴史地名大系 「丸林村」の解説

丸林村
まるばやしむら

[現在地名]野木町丸林

おもい川左岸の台地上(標高約二〇メートル)に位置し、西は友沼ともぬま村。中世には小山おやま庄に含まれた。天文五年(一五三六)と推定される一一月二七日の小山高朝伊勢役銭算用状写(佐八文書)に上郷分として「まろはやし」とみえ、伊勢役銭三七〇文を負担している。なお喜連川家料所記(喜連川文書)に小山押領の地として丸林郷があり、永禄三年(一五六〇)まで古河公方料所であった。慶安郷帳では田四〇石余・畑五四石余。享保八年(一七二三)野木宿定助郷となり勤高九四石(「日光街道野木宿助郷帳」坂本重通文書)。天保(一八三〇―四四)頃の古河藩領村明細帳(茨城県潮田文書)によれば、高三六七石余、うち新田一六二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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