定助郷(読み)ジョウスケゴウ

デジタル大辞泉 「定助郷」の意味・読み・例文・類語

じょう‐すけごう〔ヂヤウすけガウ〕【定助郷】

江戸時代宿駅の常備人馬が不足した際に、その補充を常時義務づけられた近隣郷村定助

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精選版 日本国語大辞典 「定助郷」の意味・読み・例文・類語

じょう‐すけごうヂャウすけガウ【定助郷】

  1. 〘 名詞 〙 江戸時代、宿駅の人馬が不足の際、常時、補充することを義務づけられた助郷。宿駅近傍四、五里以内の農村がこれに相当し、当初は高百石につき馬二疋・人足二人くらいで、諸役高・掛り物は免除された。のちに交通量の増加に伴い、享保一〇年(一七二五幕府東海道では従来の定助郷に大助郷を加え、中山道・日光街道では大助郷を定助郷と改め、その他の街道でもその設定を推進したが、成立時期は必ずしも全国一様ではなかった。定助。定付。
    1. [初出の実例]「東海道定助合、御料所は諸役高懸りもの差免」(出典:駅肝録‐享保六年(1721))

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「定助郷」の解説

定助郷
じょうすけごう

江戸時代,宿人馬の不足を補充するため宿の近郊農村に指定された助郷。1694年(元禄7)東海道などの助郷役は定助郷と大助郷に区分された。定助郷は1里前後の範囲の村に課されることが多い。宿の常備人馬(100人・100疋)が継立て機能に支障をきたしたり不足すると,定助郷,大助郷の順でこれを補い,定助郷は常時出役の対象とされた。1725年(享保10)主要街道では定助郷と大助郷の区分がなくなり,定助郷にほぼ一本化された。定助郷の範囲も成立当初より拡大され,宿から3里以上遠方の村も機能をはたすことになった。

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世界大百科事典(旧版)内の定助郷の言及

【助郷】より

…幕府直轄の五街道のうち往来のさかんな東海道,美濃路では,恒常的な助馬助成を特定の村に依存する必要が早くから生じ,1637年(寛永14)には幕府や諸藩がそれぞれの領内宿駅に助馬村を定めている。その後寛文期(1661‐73)に中山道,日光道中をも加え,助馬村の恒常的な制度化としての定(じよう)助(定助郷)を生み,さらにその後定助では不足のときに人馬を補う村を定め,これを大(だい)助と呼んだ。しかし,これらの助郷は支配関係にとらわれ,宿駅近くの村を含まないのが一般的で,また村落はすでに小農中心の村に変容しており,そのため幕府は1694年(元禄7)より助郷制改革を断行した。…

※「定助郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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