丸栗庄
まるぐりのしよう
「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月条の年貢未済の信濃国荘園の注文に、「御室御領丸栗庄」とみえる。丸栗の訓について「わぐり」か「まるぐり」か明確を欠くが、口碑に長井村・五十里村・奈良井村・青木村・念仏寺村・梅木村など土尻川北方の山中村では丸栗庄跡と称している(長野県町村誌)。慶長九年(一六〇四)の信州四郡草山年貢帳の水内郡の部の初めに「丸栗村 肝煎藤八郎・与二郎」とあって、その村名がいずれの旧村名に該当するか確かでない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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