山形県中南部にある市。1954年(昭和29)長井町と長井、西根、平野、伊佐沢(いさざわ)、豊田(とよた)の5村が合併して市制施行。長井盆地の中央を占め、西部は朝日山地、東部は出羽(でわ)山地南端の白鷹(しらたか)丘陵があり、中央部を白川と松川を合流した最上川(もがみがわ)が北流する。中世初期に大江時広が長井姓を名のり、長井荘(しょう)を支配した。その後伊達(だて)氏、蒲生(がもう)氏の統治を経て、1598年(慶長3)以降は上杉氏(のち米沢(よねざわ)藩)の支配下となった。中心の長井は小出(こいで)と宮に分かれ、交互に市日の立つ交易地で、宮は元禄(げんろく)年間(1688~1704)からは最上川舟運の河港として米沢藩の物資流通、商取引で栄えた。大正時代には養蚕地を控えて製糸業の隆盛をみ、長井紬(つむぎ)を特産したが、第二次世界大戦後は弱電関係の工場立地が相次ぎ、主要産業となっている。農業は米作中心。JR米坂(よねさか)線、山形鉄道フラワー長井線、国道287号が通じる西置賜(にしおきたま)郡の行政、経済の中心地。「伊佐沢の久保ザクラ」(国の天然記念物)は樹齢約500年のエドヒガンザクラである。また、白つつじ公園、あやめ公園など花の名所が多い。国立公園となっている朝日連峰の登山口にあたり、最上川に合流する野川には野川渓谷や木地山(きじやま)ダム、長井ダムがある。面積214.67平方キロメートル、人口2万6543(2020)。
[中川 重]
『『長井市史』全5冊(1982~1986・長井市)』
山形県南部の市。1954年市制。人口2万9473(2010)。長井盆地の中央を占め,西部は朝日山地,東部は出羽山地南端の白鷹丘陵に属し,中央部を最上川が北流する。中世,この一帯は長井荘とよばれており,地頭は関東御家人長井氏であった。その後,伊達氏,蒲生氏の領有を経て,1598年(慶長3)以降は上杉氏の領地となった。中心地の長井は小出と宮の2地区に分かれ,交互に市の立つ交易地としてにぎわった。とくに南の宮は元禄年間(1688-1704)に最上川舟運の河岸が開かれ,ここを通じて米沢藩の城米や青苧(あおそ)などが酒田経由で京坂や江戸に送られた。主産業は農業で,稲作を中心に果樹栽培,畜産を行う。大正時代,養蚕地をひかえ製糸業が発達,特産品の長井紬で知られた。第2次大戦後は,野川総合開発事業の実施とともに弱電関係の工場の立地があいついだ。山形鉄道フラワー長井線・JR米坂線,国道287号線が通じ,長井盆地の経済の中心をなす。磐梯朝日国立公園に含まれる朝日岳の表登山口にあたり,大規模なアヤメ公園やツツジ公園がある。
執筆者:中川 重
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…人口5019(1995)。南は延岡市,北は大分県に接し,長井,川内名(かわちみよう)の両地区からなる。近世を通じて延岡藩に属し,川内名の猪ノ市,八戸には関所が置かれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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