中条(読み)なかじょう

精選版 日本国語大辞典 「中条」の意味・読み・例文・類語

なか‐じょう‥デウ【中条】

  1. 〘 名詞 〙ちゅうじょう(中条)
    1. [初出の実例]「はりかたがないとなかでうまだはやり」(出典:雑俳・誹風花の咲かほ)

ちゅう‐じょう‥デウ【中条】

  1. 〘 名詞 〙 中条流のこと。また、中条流の堕胎医。
    1. [初出の実例]「已でに我仲条が手にかかるはづ」(出典:雑俳・裏若葉(1732))

ちゅうじょうチュウデウ【中条】

  1. 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「中条」の解説

中条
なかじよう

奥山おくやま庄の中央部を占める地域、現存する史料では、当条内の地として羽黒はぐろ飯積いいづみ(角)鷹巣たかのす(栖)築地ついじ村松むらまつ中村なかむら中村浜なかむらはま赤河あかがわ石曾禰いしそね御宝殿おほうでん(現中条町)鼓岡つづみおか(現黒川村)がみえる。嘉元二年(一三〇四)一二月二六日の関東下知状案(山形大学所蔵中条家文書)に「中条地頭」とみえるのが初見。おそらく建治三年(一二七七)に高井道円(時茂)が、三人の孫、義頼(時連・茂資・茂連)・茂長(長連)・義長(義基)らに奥山庄地頭職を分割譲与したのち、中条・きた条・みなみ条の呼称が生れたのであろう。条内の各地は鎌倉期には分割して譲与され、羽黒氏など地名を名乗る庶子が出た。

のちに中条とよばれる地域を伝領した義頼は、弘安元年(一二七八)五月一八日幕府より安堵を得た(「鎌倉将軍家(惟康親王)政所下文」山形大学所蔵中条家文書)。この相続に不満を抱いた時茂の娘尼意阿が訴訟を起こしたが、義頼は同一〇年九月一日勝訴し(「関東下知状案」同文書)、永仁二年(一二九四)三月一〇日子の茂貞(茂明)に所領の三分の二を譲った(「和田茂連譲状案」同文書)。この相続をめぐって茂貞と弟の茂泰との間に相論が起き、同四年一一月二四日、幕府は茂貞の勝訴とし、遺領の残り三分の一は未処分の地と判断し、文書偽造の咎により茂泰および茂連の娘瑠璃御前の相続権を否定したうえで、茂貞が一族に配分するよう決定している(「関東下知状案」同文書)


中条
ちゆうじよう

井家いのいえ庄の内で、北中条・南中条付近に比定される。嘉禎三年(一二三七)二月八日の平業光・光蓮連署譲状案(「御遺言条々」勧修寺家文書)に「かゝのくにゐのいゑの御庄南方・北条・中条、」とみえる。建治二年(一二七六)一〇月一七日の勧修寺経俊処分状案(御遺言条々)で同庄の大半は息坊城俊定に譲られたが、中条だけは「二位中将上」とよばれる女性に与えられた。経俊とこの女性との関係は未詳だが、支配は井家本庄の預所に任せ、年貢のみを受取るという内容で領家職の分割とみられる。徳治三年(一三〇八)六月二一日の某譲状(藤岡氏所蔵文書)によれば、中条は「御あかこ」(御阿賀)に譲られた。彼女は坊城定資の娘、勧修寺経顕の妹とみられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中条」の意味・わかりやすい解説

中条(新潟県の地名)
なかじょう

新潟県北部、北蒲原郡(きたかんばらぐん)の胎内(たいない)扇状面にあった旧町名(中条町(まち))。現在は胎内市の北西部を占める地域。旧中条町は1889年(明治22)町制施行。1956年(昭和31)乙(きのと)村、1967年築地(ついじ)村を合併、扇状地面全域が町域となった。2005年(平成17)北蒲原郡黒川(くろかわ)村と合併し市制施行、胎内市となる。JR羽越本線(うえつほんせん)と国道7号、113号、345号が通じる。中世は奥山庄(おくやまのしょう)の豪族三浦・和田一族(後の中条氏)の領有で、荘園(しょうえん)開発が進み、「奥山庄波月条(なみつきのじょう)絵図」(国指定重要文化財)などの貴重な中世史料も残る。近世は街道宿場町として六斎市(ろくさいいち)でにぎわい、第二次世界大戦前は荒川早場米の集散地として栄えた。1960年には砂丘裏に中条、紫雲寺(しうんじ)ガス田の開発が進み、豊富な天然ガスを原料とするガス化学コンビナート建設が進捗(しんちょく)して、県北の一大化学工業都市に発展した。クラレ、JX日鉱日石開発、日立製作所などの工場があり、年間368億円(1995)の化学工業出荷額をあげている。乙宝寺(おっぽうじ)三重塔(国の重要文化財)、鳥坂(とさか)城跡、地本(じもと)のミズバショウ群落などの名所・旧跡があり、荒川神社の奉納模型和船および船絵馬は国の重要有形民俗文化財となっている。

[山崎久雄]



中条(長野県の地名)
なかじょう

長野県北部、上水内郡(かみみのちぐん)にあった旧村名(中条村(むら))。現在は長野市の西部に位置する地域。1955年(昭和30)栄(さかえ)村と、日里(ひさと)村の一部が合併して成立。2010年(平成22)信州新(しんしゅうしん)町とともに長野市へ編入。犀(さい)川の支流土尻川(どじりがわ)に沿い、左岸の山腹傾斜地に耕地や小集落が点在する。クワ、タバコなど工芸作物や畜産を主にした純農村。果樹やキノコ栽培も導入されている。土尻川に沿って長野、大町両市を結ぶ定期バスが走る。地すべりが多く、集落の集団移転もあり、人口流出が進んだ。

[小林寛義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中条」の意味・わかりやすい解説

中条
なかじょう

新潟県北部,胎内市北西部の旧町域。新潟平野の北部に位置する。 1889年町制。 1956年乙村と合体。 1967年築地村を編入。 2005年黒川村と合体して胎内市となった。中心集落の中条は胎内川の扇状地に発達。中世から奥山荘の中心地で,近世には米沢街道の宿場町となり,以来商工業の町として繁栄。工業は酸性白土を原料とした化学工場と電機工場のほか,1956年以来海岸砂丘の天然ガス田を開発して,ガス化学コンビナートを形成,1962年低開発地域工業開発地区に指定された。農業は,米作のほか根菜類や果樹の栽培が行なわれる。胎内二王子県立自然公園に属し,鳥坂城 (とっさかじょう) 跡,名刹乙宝寺 (三重塔は国指定重要文化財) などがある。

中条
なかじょう

長野県北部,長野市西部の旧村域。筑摩山地の北部に位置する。1955年栄村と日里村の一部が合体して成立。2010年長野市に編入。犀川の支流土尻川の谷にまたがり,平地は少ない。長野市街地への通勤圏となり,専業農家の数は激減した。

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百科事典マイペディア 「中条」の意味・わかりやすい解説

中条[町]【なかじょう】

新潟県北部,北蒲原(きたかんばら)郡の旧町。越後平野北部,胎内川沖積地を占め日本海に面する。主集落は江戸以降,米沢街道の宿場町,市場町として発達,羽越(うえつ)本線が通じる。天然ガスを産し,化学工業を行う。米作,野菜,葉タバコの栽培などを行う。2005年9月,北蒲原郡黒川村と合併し市制,胎内市となる。84.58km2。2万7655人(2003)。

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改訂新版 世界大百科事典 「中条」の意味・わかりやすい解説

中条(新潟) (なかじょう)


中条(長野) (なかじょう)

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デジタル大辞泉プラス 「中条」の解説

中条

長野県長野市にある道の駅。主要地方道長野大町線に沿う。

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世界大百科事典(旧版)内の中条の言及

【奥山荘】より

…越後国蒲原郡(新潟県北蒲原郡中条町,黒川村,加治川村と一部岩船郡関川村)の荘園。摂関家領。…

※「中条」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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