久下(読み)くげ

日本歴史地名大系 「久下」の解説

久下
くげ

篠山川に石戸いしど川が合流する辺りを中心とする地域をさしたと考えられる戦国時代の地名。永正六年(一五〇九)の久下谷山売渡四至証文写(久下信生家文書)に、「久下谷山論検使衆」がみえ、久下政光が「四ケ村」名主百姓に売渡した山地を久下谷山とよんでいる。「四ケ村」とは新屋にや(現柏原町)にあたる(同年一一月一一日「久下政光等連署山地売券」田路村文書)。天正七年(一五七九)と考えられる八月二四日の明智光秀書状(滋賀県立安土城考古博物館所蔵文書)によれば、光秀は丹波平定をめざして近頃久下に在陣しているが、一両日中に和田わだ面に発向する旨が報じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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