久留米騒動(読み)くるめそうどう

改訂新版 世界大百科事典 「久留米騒動」の意味・わかりやすい解説

久留米騒動 (くるめそうどう)

幕末久留米藩における藩内闘争。1844年(弘化1)久留米藩10代藩主となった有馬頼永(よりとう)は,水戸学の影響をうけた村上守太郎ら天保学派の支持を得て藩政改革着手,大倹令を発し軍制改革を断行したが,わずか2年にして急逝し,藩政改革は挫折した。46年,弟の頼咸(よりしげ)が11代藩主に就任すると,天保学派は真木和泉らの外同志と村上守太郎らの内同志に分裂し,50年(嘉永3)江戸赤羽の久留米藩邸における村上守太郎の参政馬淵貢に対する刃傷事件にまで発展した。翌51年村上一派・内同志は処分をうけたが,まもなく藩政中枢に復帰し,外同志と激しく対立,このとき和泉らは処分された。こうして,幕末久留米騒動は,頼咸の襲封以降,藩主廃立の是非をめぐる藩内の主導権争いに終わり,頼永の意図した藩政改革は失敗した。そこから久留米藩における維新への対応が生まれ,久留米藩は終始佐幕的態度をとり続けた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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