久米山古墳群(読み)くめやまこふんぐん

日本歴史地名大系 「久米山古墳群」の解説

久米山古墳群
くめやまこふんぐん

[現在地名]上野市久米町・守田町

久米川の南側の久米山(約二〇〇メートル)は平面形が一辺約一・三キロ前後の三角形の独立丘陵で、南・北・西に延びる主要尾根とそれから派生する各支尾根に五〇基ほどの古墳が分布する。昭和三八年(一九六三)・同五一年の二度にわたり計一七基の古墳が発掘調査された。最も古いと考えられる六号墳は五世紀前半と推定され、径約一七メートルを測る円墳で、主体部は盗掘されていたが、二基の埋葬施設が想定されている。埋葬施設からは方格規矩鏡・鉄製釧・琴柱形石製品・鉄製工具などとともに多量の玉類が出土した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む