久邇宮邦彦(読み)くにのみやくにひこ

世界大百科事典(旧版)内の久邇宮邦彦の言及

【宮中某重大事件】より

…1920年から21年にかけておこった皇太子迪宮裕仁(みちのみやひろひと)親王(昭和天皇)の妃決定をめぐる紛糾事件。1918年春,島津忠義の孫で久邇宮(くにのみや)邦彦王の長女良子(ながこ)が皇太子妃に内定し,翌年6月に正式の婚約が成立した。しかし元老山県有朋は,良子の母系の島津家に色盲遺伝があるとして,この婚約に反対を唱えた。…

※「久邇宮邦彦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」