乙窪村(読み)おちくぼむら

日本歴史地名大系 「乙窪村」の解説

乙窪村
おちくぼむら

[現在地名]中主町乙窪・北比江きたひえ

小比江こびえ村の北、野洲川右岸に立地。乙穴村とも書いた。つぼはちさとなどの古代条里の数詞坪地名が残る。明応六年(一四九七)のいろいろ帳(安治共有文書)兵主ひようず一八郷の一として「乙ちくほ村」がみえる。大永四年(一五二四)四月二七日の紀年銘のある兵主神社の箙は「乙穴村住人」の井口甚右衛門宗満の作とある。元亀元年(一五七〇)六月四日、六角承禎方と織田信長方の柴田勝家・佐久間信盛が野洲川付近の「落窪之郷」で合戦した(原本信長記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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