コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

佐久間信盛 さくまのぶもり

6件 の用語解説(佐久間信盛の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

佐久間信盛
さくまのぶもり

[生]? 尾張
[没]天正10(1582).紀伊
安土桃山時代の武将。正盛の子。右衛門尉と称した。初め織田信秀に仕え,のち信長に従って近江佐々木氏の征討,比叡山の焼打ち,三方ヶ原の戦い,朝倉氏の征討,一向一揆の鎮圧,松永氏の討伐に功があった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

佐久間信盛 さくま-のぶもり

1527?-1581 戦国-織豊時代の武将。
大永(たいえい)7年?生まれ。佐久間信晴の長男。織田信秀につかえ,織田信長の重臣となる。長篠(ながしの)の戦い,一向一揆(いっき)の鎮圧などに功があった。天正(てんしょう)4年からの石山本願寺攻めで総大将となるが,8年その無策をとがめられ,高野山に追放された。天正9年7月24日死去。55歳?尾張(おわり)(愛知県)出身。通称は右衛門尉。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

佐久間信盛

没年:天正9.7.22(1581.8.21)
生年:大永7(1527)
戦国・安土桃山時代の武将。佐久間信晴の子として尾張に生まれる。はじめ牛助,次いで出羽介,右衛門尉を称した。織田信秀に仕え,信長が家督相続をするときこれを支持し,以後,信長の信任を得たといわれる。永禄11(1568)年の信長の上洛に従い,京都の治安維持に努め,次いで近江永原城を預けられ,柴田勝家と共に,近江から六角承禎(義賢)の勢力を掃討するのに力があった。元亀3(1572)年12月の遠江三方ケ原の戦に,徳川家康の援軍として浜松城に送られたが,このときは完敗を喫している。長篠の戦,伊勢長島一向一揆との戦,越前一向一揆との戦など,信長の戦闘のほとんどに参陣しているが,なかでも天正4(1576)年から本格化した石山本願寺包囲戦では,その中心的な位置にあった。ところが石山本願寺が降服してきた直後の同8年8月,「無為に五カ年間を費した」と信長から問責され,子正勝ともども高野山に追放される。明智光秀の讒によるとも,実際,茶の湯に耽溺して軍務を怠ったからともいわれているが,真相は不明で,信長のいわゆる「捨て殺し」政策の犠牲になったとされる。剃髪して宗盛と号したが,紀伊国十津川の温泉で病気療養中に病死した。なお,子正勝はのちに許されて織田信長に仕え,不干斎と号して豊臣秀吉の御咄衆となり,茶人としても名を残している。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

さくまのぶもり【佐久間信盛】

1527‐81(大永7‐天正9)
戦国期の武将。尾張の織田信長の家臣で近江永原の長光寺城を預かる。1570年(元亀1)近江の六角義賢を破り頭角を現し,75年(天正3)武田氏との長篠の戦で活躍し,その賞として三河の水野信元の遺領を与えられる。翌年,一向一揆の本拠である石山本願寺の攻撃のため出陣。以後5年間,戦果のあがらぬ責を負わされて,80年に改易。高野山に謹慎の後,熊野で死没。【柴辻 俊六】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

さくまのぶもり【佐久間信盛】

1527~1581) 戦国・安土桃山時代の武将。織田信長の重臣。石山本願寺攻めに難航、指揮の不備を問責されて改易。高野山で剃髪。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

佐久間信盛
さくまのぶもり
(?―1582)

戦国時代から安土(あづち)桃山時代の武将。出羽介(でわのすけ)、右衛門尉(うえもんのじょう)。織田信長の老臣。佐久間氏は安房(あわ)佐久間(千葉県安房郡鋸南(きょなん)町上・中・下の佐久間)から尾張(おわり)(愛知県)に移る。のちその家は山崎城(名古屋市南区)と五器所(ごきそ)城(同昭和区)との2家に分かれた。信盛は山崎城主。1572年(元亀3)徳川家康の援軍として、遠江(とおとうみ)三方ヶ原(みかたがはら)(浜松市)で武田信玄(しんげん)と戦い惨敗。76年(天正4)以来、石山本願寺の攻囲に参戦したが、80年開城後、戦功のないことなどを問責され、高野山(こうやさん)に追放された。茶道にも造詣(ぞうけい)がある。[奥野高広]
『奥野高広・岩沢愿彦校注『信長公記』(1969・角川書店)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

佐久間信盛の関連キーワード五辻富仲佐久間正勝細川玄旨山岡如軒北小路俊孝安土桃山時代佐久間伊勢・安土桃山文化村佐久間信辰佐久間信房

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone