亀高村
かめたかむら
[現在地名]江東区北砂四―七丁目・東砂一丁目
小名木川の南岸に位置し、西は治兵衛新田・久左衛門新田。往古は二ヵ村に分れ、同川沿いを亀戸新田、南の境川沿いを高橋新田と称したが、ともに名主治郎兵衛持であったため合せて一村とし、両村の文字をとって亀高としたという。検地は元禄一〇年(一六九七)で(風土記稿)、元禄郷帳によると高四九三石余。「風土記稿」によれば東西約七町・南北約八町。家数七二、幕府領。幕末にも同領(旧高旧領取調帳)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 