日本歴史地名大系 「五兵衛新田」の解説 五兵衛新田ごへえしんでん 東京都:足立区五兵衛新田[現在地名]足立区綾瀬(あやせ)三―七丁目・西綾瀬(にしあやせ)三―四丁目・弘道(こうどう)二丁目・青井(あおい)三―四丁目など伊藤谷(いとうや)村の北に位置し、南から西は弥五郎(やごろう)新田、北は嘉兵衛(かへえ)新田、東は普賢寺(ふげんじ)村。中央を北から南に寛永年間(一六二四―四四)に開削された綾瀬川が貫流し村域は東西に分れている。近世初頭、金子五兵衛家直により開かれたと伝える(風土記稿)。金子五兵衛は入間郡金子(かねこ)村(現埼玉県入間市)からの入植者と伝える。開発年代は伝わっていないが、開発者五兵衛の没年が寛永四年であることから(「観音寺縁起」観音寺文書)、隣接する諸新田と同じく元和(一六一五―二四)頃の開発と考えられ(「風土記稿」・金子家文書)、伝承では慶長二年(一五九七)に入植したといわれている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by