井ノ上村(読み)いのうえむら

日本歴史地名大系 「井ノ上村」の解説

井ノ上村
いのうえむら

[現在地名]嬉野町井之上いのうえ

中村なかむら川の中流右岸沿いの谷間入口に位置し、島田しまだ村の南西にあたる。東は八田はつた村、南西上流は釜生田かもだ村。小字名に閉垣内とじがいと・西ノ垣内の垣内地名がある。文禄検地帳を転記したと思われる伊勢国中御検地高帳に井上村とみえ、石高一九〇・一一石とある。元和五年(一六一九)和歌山藩松坂領となり、下ノ庄組に属した。慶安郷帳(明大刑博蔵)では田六五・三七四石、畑一二四・七三六石で、干損所と芝山があった。元禄一四年(一七〇一)の地士に大森伝兵衛、廃藩当時の地士に大森弁一郎・東畑新助がいた(南紀徳川史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む