八田(読み)ハッタ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「八田」の意味・わかりやすい解説

八田
はった

山梨県中部、中巨摩郡(なかこまぐん)にあった旧村名(八田村(むら))。現在は南アルプス市の北東部を占める一地区。2003年(平成15)白根(しらね)、櫛形(くしがた)、甲西(こうさい)、若草4町および芦安(あしやす)村と合併し、南アルプス市となる。旧八田村地区は、甲府盆地西部、御勅使(みだい)川扇状地の扇端部と釜無(かまなし)川右岸の氾濫原(はんらんげん)上に位置する。国道52号が通じる。かつては米作養蚕を主体とする農業が盛んであったが、その後、ブドウモモなどの果樹栽培が主力となった。ころ柿(がき)生産でも名高い。1959年(昭和34)に工場誘致が行われ、バルブ工場など数社が操業している。国指定重要文化財に、天平(てんぴょう)年間(729~749)行基(ぎょうき)が建立したといわれる長谷寺本堂(ちょうこくじほんどう)がある。

横田忠夫

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八田」の意味・わかりやすい解説

八田
はった

山梨県中部,甲府盆地北西部,御勅使 (みだい) 川扇状地にある地域。旧村名。 1956年御影村と田之岡村が合体して成立。地名近世の郷荘名に由来するといわれる。 2003年に芦安村,白根,若草,櫛形,甲西の各町と合併し南アルプス市となった。江戸時代から行商が盛んで,東境を流れる釜無川沿いで米作が行なわれるほかは養蚕が主産業であったが,第2次世界大戦後ブドウ,モモなどの果樹栽培に転換した。ころ柿の産地でもある。国道 52号線が通る。

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