日本の墓制の一つ。土葬を基調とする墓制で、1人の死者のために遺骸(いがい)を埋葬する墓(埋め墓)のほかに、供養のために詣(まい)る墓(詣り墓)を設ける。遺骸を埋葬した墓で供養を続ける単墓制に対して両墓制とよぶ。事例はおもに関東から中国、四国地方に分布し、東北、九州地方にはきわめて少ない。死後一定期間だけ埋め墓に詣り、それ以後は詣り墓に詣るというのが一般の傾向である。初七日、四十九日、百箇日、一周忌など、死後1年の間の法事を機会に、詣り墓に供養の中心を移す所が多いが、数年、十数年後という土地もある。
両墓制の個々の事例の成立事情は単純ではない。明治以後、墓地を整備したために、埋め墓と詣り墓の別が生じたという例もある。しかし、宗教的に両墓制を支えているのは、遺骸は穢(けが)れているが、ある期間を経た死者の霊魂は清浄なものとする観念であろう。日本の葬法は本来二重葬的で、古く「もがり」などとよばれた仮葬と、本格的に遺骸を処置する本葬との二段階があった。埋め墓での死後の供養は仮葬での供養に相当し、忌みのかかった親族が穢れのある遺骸に近づいて供養を行った形をとどめている。埋め墓は、地上葬であった仮葬が本葬のような埋葬に変化したために生じたとも考えられる。詣り墓に移るとき、埋め墓の土をすこし持って行くという習俗が広くみられるのは、仮葬地から本葬地への遺骸の移動に対応している。
詣り墓は墓石によって標示されることも多く、両墓制は、庶民の間に墓石が普及したとき、埋葬地とは別の場所に墓石を立てたために生じたとする見方もある。詣り墓には仏教信仰の影響を受けた、死者の霊魂を供養する聖地の性格が強い。詣り墓に髪や爪(つめ)を葬るというのは、高野山(こうやさん)など寺院の納骨堂に髪や爪を納めて死後の成仏を願うのと共通している。単墓制でも、供養堂など詣り墓に相当するような供養施設が墓以外の形で存在する例は珍しくない。詣り墓に移ったあとも、盆や彼岸(ひがん)などには両方の墓に詣るなど、埋め墓が単墓制の墓とあまり違わない扱いを受けている場合もある。
葬ることを古語でハフルというのは、捨てるという意味で、埋め墓は遺骸を放棄する施設の名残(なごり)とする考えもある。現に埋め墓を埋葬後まったく顧みないという例もあるが、数も少なく、これを重視することはできない。ただ埋め墓に捨てたとも考えられない。埋め墓から骨だけを収め、詣り墓に改葬する葬法もあり、さらには琉球(りゅうきゅう)諸島の洗骨葬の問題とも関連してくる。埋め墓は遺骸供養の信仰に、詣り墓は死者の霊魂祭祀(さいし)の信仰にかかわっている。埋め墓には、石を円形に並べて中央に石を一つ立てたものや、小さな丸石を円錐(えんすい)形に積み上げたものなど、古風な墓のしるしと思われる形態のものがある。
[小島瓔]
『最上孝敬著『詣り墓』(1956・古今書院)』
遺体の埋葬地と,霊魂の祭祀対象としての墓石の,二つの墓を地所を別にしてもつ墓制のこと。埋葬地を埋墓(うめばか)といい,イケバカ,ステバカ,サンマイなどともいう。墓石のある墓地を詣墓(まいりばか)といい,キヨバカ,マツリバカなどともいう。埋墓が河川敷・山中・海浜などに設置されるのに対し,詣墓は村内の寺・堂などの境内に設けられる。埋墓は共有地の場合が多く,死亡順に埋葬していって,埋葬する場所がなくなれば,またもとの場所へもどる。また,埋葬地には石などを置くくらいで永久的な施設を設けることがない。したがって,死者埋葬後は埋墓へ墓参することもなく,もっぱら彼岸・盆などの墓参りは詣墓の方へ行われている。もっとも,最近では埋墓にも墓石を建立する風習が生まれ,両墓制は崩壊しつつある。このような両墓制は近畿地方を中心に関東地方,東北地方にも分布するが,九州地方にはほとんど見られない。両墓制は死をもたらすものへの恐怖から生まれた死体遺棄の風習が行われているところへ,盆・彼岸・年忌などの機会に死者供養を寺院などで行う風習が重なり発生した。詣墓が寺院などのそばにあるのは仏事などのときに供養として石造卒塔婆が建立されたためである。岐阜県や滋賀県の浄土真宗地帯に顕著に見られる墓石をもたない村は,墓石が得られないところから発生した風習である。もっとも,浄土真宗の村の人々は家の仏壇が詣墓であると理解している。兵庫県では浄土宗や日蓮宗の村でも墓石をもたない所がある。上記のように,両墓制は墓石の普及と密接な関係があるので,江戸時代初期に成立したと考えられている。ただ,墓石普及以前の死者供養は寺院や堂などで行われていたので,寺院や堂が詣墓であるという意見がある。これを詣墓とすると,両墓制の成立は,死者供養のための寺や堂が建てられるようになった鎌倉時代となる。
→葬制
執筆者:田中 久夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
埋葬地(遺体を埋葬する墓地。一般に埋墓(うめばか)という)と,石塔を建てる墓地(一般に詣墓(まいりばか)という)を離して設ける墓制。この墓制は関西地方を中心に分布し,九州や東北地方ではほとんどみられない。両墓制については,死骸と霊魂の分離を前提として死骸=穢(けがれ)=埋墓と,霊魂=清浄=祭地=詣墓という一つの連続した葬墓制の習俗としてとらえる学説と,埋墓は死者への恐れや穢によって村境の外に設けられ,詣墓は仏教信仰の影響で礼拝供養するために新たに建てられたものとし,異なった二つの要因が二つの墓地を形成したとする学説がある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新