日本歴史地名大系 「井庄」の解説 井庄もみいのしよう 兵庫県:篠山市旧篠山町地区井庄現篠山市内にあった中世の庄園。「篠山領地志」は福住(ふくすみ)・川原(かわら)・安田(やすだ)・本明谷(ほんみようだに)を庄域とし、「多紀郡明細記」はその東の安口(はだかす)・西野々(にしのの)・下原山(しもはらやま)・奥原山(おくはらやま)とするが、籾井川流域という点では一致する。天喜三年(一〇五五)頃と思われる年欠の丹波国庄園注文(東大寺文書)に多紀(たき)郡東県に「□補庄在草上郷籾井村、相争国分寺庄」とあり、籾井村が東大寺の庄園で、国分寺の庄園と相論していたことが知られるが、以後の東大寺関係史料には現れない。「蔭涼軒日録」延徳二年(一四九〇)二月二日条には三ヵ国仏事銭三万疋について「於丹波籾井七千疋取之条、御仏事奉行松田対馬守、飯尾加賀守、籾井方江堅白之、定両三日中可到来、然者早々可致進納云々」とあり、仏事奉行が籾井に七千疋の進納を命じている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by