日本大百科全書(ニッポニカ) 「井関家」の意味・わかりやすい解説
井関家
いぜきけ
室町時代末から江戸時代にかけて活躍した世襲面打の三大家系の一つ。出身の地近江(おうみ)(滋賀県)の名を冠してよばれることが多い。初代上総介(かずさのすけ)親信(ちかのぶ)は他の2家(越前(えちぜん)出目、大野出目)と同様、平泉寺僧で面打をよくした三光坊(さんこうぼう)との関係を語り、その弟子と称している。『仮面譜』という文献に記す初代親信、2代親政、3代備中掾(びっちゅうのじょう)にあたる銘のある面が近年相次いで発見され、これまではっきりしなかったこれらの人物が確認でき、彼らが近江国坂田北郡(長浜市)あたりに住んでいたことも判明した。4代河内大掾(かわちのだいじょう)家重(いえしげ)は1639年(寛永16)までには江戸に上り、当時の第一人者として「天下一河内」と称している。その作とされるものは多いが、確認できるものは少ない。家重没後、弟子である大宮大和真盛(やまとまさもり)が継ぎ、「天下一大和」を称した。
[佐藤昭夫]