改訂新版 世界大百科事典 「三光坊」の意味・わかりやすい解説 三光坊 (さんこうぼう) 中世の能面作家。生没年不詳。本名は千秋満広。朝倉氏の遺臣であったが越前平泉寺の僧となり,猿楽に興味をもって作面を手がけるようになったという。文明年中(1469-87)の人とも,1532年(天文1)没とも伝えるが明確でない。能面の尉の一種である三光尉は彼の創作とされる。近世世襲能面作家の三大家系(越前出目家,近江井関家,大野出目家)は彼を祖とするといってよく,十作の一人にかぞえる伝書もある。執筆者:田辺 三郎助 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三光坊」の解説 三光坊 さんこうぼう ?-1532 戦国時代の能面師。越前(えちぜん)(福井県)平泉寺の僧となり,のち比叡(ひえい)山にうつる。六作(一説には十作(じっさく))のひとりで,三光尉(じょう)という翁(おきな)面の作者とされる。江戸時代の能面師三大家系(越前出目(でめ)家,近江(おうみ)井関家,大野出目家)は,三光坊を祖としている。天文(てんぶん)元年死去。本名は千秋満広。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例