仁多町
にたちよう
面積:一七八・六四平方キロ
仁多郡の北西部に位置し、西流する斐伊川上流の各支流の谷間に集落が点在する。南は毛無山などを境に広島県比婆郡高野町、南東は横田町、東は能義郡広瀬町、北は大原郡大東町・木次町、西は飯石郡吉田村。毛無山は「出雲国風土記」の仁多郡に載る比市山とされ、ほかにも比比理村など当町域に比定される地名が記載されている。同書に載る仁多郡三沢郷・三処郷・布勢郷、「和名抄」に載る三沢郷・三処郷・阿位郷・布勢郷が当町域に比定される。中世も引続き古代の郷名を継承するこれらの郷域に含まれた。江戸時代も仁多郡に属し、松江藩領であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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