朝日日本歴史人物事典 「仁木満長」の解説
仁木満長
南北朝末・室町時代初期の武将。伊勢などの守護仁木義長の子。仁木氏は足利一門の末流であったが,義長の兄頼章が室町幕府執事となり,その勢威を背景に南北朝初期には一時9カ国守護を兼ねた。しかし応安5/文中1(1372)年に分国但馬を山名氏に奪われたのを最後に,分国は皆無となった。満長は,美濃の乱で足利義満により土岐氏が失脚したあと明徳1/元中7(1390)年伊勢守護に補任されるが,応永3(1396)年7月には庶兄の仁木義員に更迭され伊勢に没落,途中出家逐電したとされ,その後の動静は明らかではない。なおこの満長から義員への更迭は義満近習の結城満藤の策謀で,怒った守護大名らは義満に迫って満藤を追放するという事件が起こっている。満長の子孫は守護にはならなかったものの,伊勢仁木家として存続した。
(今谷明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報