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伊勢 いせ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伊勢
いせ

[生]元慶1(877)頃
[没]天慶2(939)頃
平安時代中期の女流歌人。三十六歌仙の一人。父は藤原継蔭 (つぐかげ) 。寛平2 (890) 年前後に宇多天皇皇后温子 (おんし) に仕え,藤原仲平,その兄時平,平貞文らと文通し,同8年頃宇多天皇の寵愛を受けた。のち敦慶 (あつよし) 親王と関係し,歌人中務 (なかつかさ) を生んだ。洗練された技巧的歌風紀貫之と並称されるほどで,『古今集』以下の勅撰集に 200首近く入集。家集に『三十六人集』の一つである『伊勢集』があり,その冒頭部分は物語的で,『伊勢日記』とも呼ばれる。歌合の出詠,屏風歌の詠作も多く,『亭子院歌合』 (913) の仮名日記は伊勢の作といわれている。

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デジタル大辞泉の解説

いせ【伊勢】[地名]

旧国名の一。現在の三重県の大半。伊勢神宮鎮座の地として古くから開けた。勢州(せいしゅう)。
三重県東部の市。旧称の宇治山田市を昭和30年(1955)に改称。伊勢神宮鳥居前町として発展。伊勢志摩国立公園表玄関。平成17年(2005)11月、二見町・小俣町・御薗町と合併。人口13.0万(2010)。

いせ【伊勢】[人名]

平安前期の女流歌人。三十六歌仙の一人。伊勢守藤原継蔭(ふじわらのつぐかげ)の娘。中務(なかつかさ)の母。宇多天皇の寵愛(ちょうあい)を受けて皇子を産み、伊勢の御(ご)と呼ばれた。生没年未詳。家集に「伊勢集」がある。

いせ【伊勢】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「伊勢」姓の人物
伊勢貞丈(いせさだたけ)
伊勢貞親(いせさだちか)
伊勢長氏(いせながうじ)

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百科事典マイペディアの解説

伊勢【いせ】

平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。藤原継蔭の女。父は伊勢守等を歴任した受領で,これによって伊勢と呼ばれたらしい。宇多天皇の中宮温子に仕え,のち天皇の寵を得,皇子を産んだ(早世)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

伊勢

没年:天慶2頃(939)
生年:生年不詳
平安時代の歌人。三十六歌仙のひとり。伊勢御,伊勢御息所とも呼ばれる。父は伊勢守,大和守などを歴任した藤原継蔭。宇多天皇の女御温子の女房として出仕,父の任国によって伊勢と呼ばれた。温子の兄である藤原仲平との恋の破局から一時父のいる大和に下ったあと,再び出仕,仲平の兄時平などとの恋愛ののち,宇多天皇の寵を受け皇子を生んだが,その皇子は幼くして没した。温子の没後,宇多天皇の皇子敦慶親王の愛人となり,歌人として知られる中務を生んだ。『古今集』編集に先立ち醍醐天皇から家集の提出を求められ,「春霞立つを見捨ててゆく雁は花なき里に住みやならへる」など,女性では最高の22首が入集。次の『後撰集』には70首もの作が採られるなど,宇多・醍醐・朱雀朝にわたって当時の歌風を代表する歌人のひとりとして活躍。華やかな恋愛遍歴の中で生み出された秀歌も多いが,宇多天皇の命により長恨歌屏風の歌を詠進するなど,依頼されて詠作する専門歌人として,屏風歌や歌合にも多くの歌を詠んでいる。家集『伊勢集』は冒頭約30首に物語的な詞書を伴っており,その部分は特に『伊勢日記』とも呼ばれて,歌物語や女流日記文学とのかかわりが注目されている。やがて最盛期を迎える平安女流文学の先駆者として,『源氏物語』などに与えた影響はきわめて大きく,中世には『伊勢物語』の作者にも擬せられていた。<参考文献>片桐洋一『日本の作家7/伊勢』,秋山虔『王朝の歌人5/伊勢』

(山本登朗)

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デジタル大辞泉プラスの解説

伊勢

日本海軍の戦艦。伊勢型戦艦の1番艦。1916年進水、1917年就役の超弩級戦艦。のちに航空戦艦に改装される。第二次世界大戦末期の呉軍港空襲により被弾して大破戦後浮揚され、解体された。

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世界大百科事典 第2版の解説

いせ【伊勢】

877ころ‐938ころ(元慶1ころ‐天慶1ころ)
平安前期の女流歌人。三十六歌仙の一人。伊勢御(いせのご),伊勢の御息所(みやすどころ)ともいう。父藤原継蔭は伊勢守等を歴任した受領であった。伊勢は宇多天皇の中宮温子(関白太政大臣昭宣公藤原基経の三女)に仕えた。伊勢と温子との仲は睦まじかったらしい。若いころに藤原仲平(のちの枇杷左大臣)との恋愛があり,贈答の作が残る。その後,宇多天皇の寵を受け,皇子を生んだ。皇子は早世,中宮温子も907年(延喜7)他界した。

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大辞林 第三版の解説

いせ【伊勢】

旧国名の一。ほぼ三重県北部に相当。勢州。
三重県東部にある市。伊勢神宮の鳥居前町で、伊勢志摩国立公園の玄関口。旧称、宇治山田。

いせ【伊勢】

平安前期の女流歌人。三十六歌仙の一人。伊勢守藤原継蔭つぐかげの女むすめ。中務なかつかさの母。宇多天皇の寵ちようを得て、伊勢の御と呼ばれた。歌は古今集・後撰集などに見える。生没年未詳。家集「伊勢集」

いせ【伊勢】

姓氏の一。桓武平氏。鎌倉末、伊勢守に任ぜられた俊継に始まる。足利氏の近臣として室町幕府に仕え、政所執事を世襲。代々武家故実に詳しく、江戸の故実家伊勢貞丈はその子孫。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伊勢
いせ

生没年不詳。平安前期の女流歌人。三十六歌仙の一人。大和守(やまとのかみ)藤原継蔭(つぐかげ)の娘で、宇多(うだ)天皇の后(きさき)温子(おんし)に仕えた。伊勢という名称は父の前任地名をとったものらしい。詳しい閲歴は不明。最初に関係をもった男性はおそらく温子の兄弟である仲平(なかひら)で、この恋はまもなく破局を迎えるが、のち宇多天皇に愛されるようになり、皇子(夭逝(ようせい))を生んだ。「伊勢の御(ご)」「伊勢の御息所(みやすんどころ)」とよばれたりするのはそのためであるが、天皇の愛を受け入れるようになってからも、最後まで温子のもとに仕えていたようである。897年(寛平9)宇多天皇が退位し、907年(延喜7)温子が崩御するが、宇多天皇の第4皇子敦慶(あつよし)親王と深い交渉をもつようになったのは、おそらくそのあとのことで、伊勢は10歳以上年長であった。930年(延長8)に親王が没するまで、2人の関係は続いたらしく、両者の間に生まれたのが歌人中務(なかつかさ)である。『古今和歌集』に22首、『後撰(ごせん)和歌集』に71首、勅撰集あわせて200首近い収録歌が示すように、平安期女流の第一人者であった。家集に『伊勢集』がある。
 難波潟(なにはがた)短き芦(あし)のふしの間も逢(あ)はでこの世を過ぐしてよとや[久保木哲夫]

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世界大百科事典内の伊勢の言及

【伊勢物語】より

…古くは《在五が物語》《在五中将日記》などの異称もあった。書名の由来も,伊勢(伊勢御(いせのご))の筆作にかかること,〈伊勢〉は〈えせ(似而非)〉に通ずること,巻頭に伊勢斎宮の記事があること,などをそれぞれ根拠に挙げる諸説があったが,なお不明である。作者も上の伊勢の説のほか,在原業平自記説もあり,紀貫之説も近年有力となりつつあるが,これまた特定は困難であろう。…

※「伊勢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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