改訂新版 世界大百科事典 「伊庭氏」の意味・わかりやすい解説
伊庭氏 (いばうじ)
南北朝初期以来の武将。近江国神崎郡伊庭庄(現滋賀県東近江市,旧能登川町)を本貫地とする。近江の守護家佐々木氏は,その入国以前から土着していた佐々貴山公氏の一族庶流を家門に包摂し,近江武士団を形成していった。伊庭氏は,佐々貴山公氏の流れで豊浦冠者と称された佐々木行実の次男実高を祖とする。南北朝初期から戦国期まで,六角氏の重臣として代々軍事・行政両方面に活躍した。とくに室町期の後半,永享ごろから守護代として他の家臣を圧倒するようになる。1445年(文安2),主家六角氏は内紛が起き,以後長享-延徳(1487-92)の室町将軍の近江征伐まで領国は不安定な状況が続いたが,その間領国政治の中心的役割を果たし,六角氏嫡流を支えたのは満隆・貞隆父子であった。その後,貞隆は権力の集中をすすめ,分国支配の実権を掌握するかの動きをみせたため六角氏と不和になり,1502年(文亀2)反乱を起こした。幕府も伊庭側を援助したが,のち和睦が成立した。しかし,両氏の溝はうまらず,13年(永正10)貞隆は子貞説とともに,再度反旗を翻したが敗れ,江北に逃亡した。没落した伊庭氏は以後浅井亮政と同盟し,しばしば蠢動を続けたが,再び政治の表舞台に立つことはなかった。
執筆者:細溝 典彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報