明治時代においては、「政治家」「政事家」、「政治学」「政事学」といった語形が併用され、「政治」「政事」の意の区別がなくなった。ヘボンの「和英語林集成」初版では「政事」だけであったが、改正増補版では「政治」の見出しも見られる。
政治ということばは,さまざまな意味で用いられる。それは今日,国家における政策決定の過程や制度を指して用いられることが多いが,しかし,国家をこえた国際社会での権力闘争(国際政治)や国家内諸集団での意思決定(私的政治)をめぐっても,しばしば用いられてきている。このような広い用例の核にあるのは,集団や社会には一般に,その成員全体を拘束する統一的な決定をつくりだす機能が存在するという認識であり,その機能あるいはそれに付随するさまざまな現象を指して,政治あるいは政治的ということばが用いられてきたということができる。
集団や社会内のどこかで行われた決定を,集団全体のものとして他者に受容させる究極的な決め手となるのは,権力である。この意味で,政治の第1の局面は,統一的な決定の裏付けとなる一元的な権力の秩序をつくりだすことであり,また,その争奪をめぐる権力闘争としてあらわれる。権力がどのように構成されるかは,集団や社会の歴史的構造や状況によって異なる。原始社会においては,呪術能力の保持が権力の重要な基盤であったのに対し,市民社会においては富や財産の所有が権力者への道を開いた。組織化が進行した現代社会では,官僚組織の出世の階梯を上昇することやマス・メディアを操作することが,権力行使の新たな手段となっている。しかし,いずれの時代をも通じて,他者の身体への強制力すなわち暴力を集中し独占すること,すなわち武力や警察力の掌握が,権力の究極的な基盤であることに変りはない。したがってマキアベリは,近代国家の出発に際して,何よりもまず,頼りになる軍隊を創出して国家の基礎とすることを説いたのである。その教訓は,今日のすべての国家に受け継がれている。しかし,政治において権力がむきだしの形で行使されるのは,むしろ例外的な事態に属する。権力は,成員の自発的かつ日常的な服従の調達に失敗したことに対する究極的な手段として発動されるのであって,それは政治の状況化に対応するものだといえよう。あらゆる政治はつねに,このような状況化の様相を内側に秘めているが,しかし,政治の安定は,その制度化を通じてはじめてえられる。
集団や社会の中で,ある期間を通じて,統一的な決定を下すのは誰であるべきか,あるいはどの機関であるべきかが,成員全体にとって明確に意識されているとき,その政治は制度化されたとすることができる。制度化が完成した政治において,決定作成者あるいは機関は,政府や執行部として組織化されて,その決定に成員を従わせる権利を主張し,成員はその決定に対して服従の義務意識をもつようになる。そのとき,決定作成者や機関は,一般に,集団や社会に対して政治的権威を樹立したという(権威)。
政治的権威の成立の核になっているのは,M.ウェーバーによれば,決定作成者や機関が正統(当)性Legitimitätを獲得することである。その社会に一般的な社会倫理(エートス)を背景にして,支配者の決定に従うのが正しいという観念がいきわたるとき,支配者は正統化されたといわれる。歴史社会におけるそのような正統化の基本的タイプは,ウェーバーによれば,前近代社会では伝統,近代社会では法に即して決定作成者や機関が組織されることであり,また危機的な社会においては,超人的な指導者の資質(カリスマ)への信仰が基盤になるとされる。
しかし,政治的権威は,ウェーバーのいう正統性をこえて,もっと広い背景の下でも成立する。近代国家は,絶対君主制の下,王権神授説で君主の支配を権威づけようとした。市民革命の後には,被治者の同意にのっとって決定作成が行われることが権威成立の新しい基盤になったし,またナショナリズムの高揚の時代には,民族的な共同性に訴えることによって,指導者はしばしば自己の愚行への批判をそらすことができたのである。
政治的権威と権力は,相伴うとはかぎらない。一国の政治的権威である首相と政界の最大の実力者とが食い違い,そこから複雑な政治力学が発生するというようなことは,政治が制度化と状況化との拮抗のうえにあるかぎり,むしろ通常の事態だといえる。しかし,権威は,完全に権力から独立して永続しえないということもまた事実である。亡命政権は,どのように正統性を主張しえても,実効的な支配を持続できなければ,やがて友好国や民衆からも見捨てられる。この意味で,決定が権力的裏付けによって確実に遂行されるという威信は,集団や社会に秩序をもたらすという効果によって,それ自体権威の成立の基盤になるのである。
どのように権威と権力によって裏付けられた支配でも,その決定が適切さを欠き失政をつづけるなら,やがて崩壊に直面せざるをえない。したがって,政策決定と実施における賢明さは,決定作成者に権威をもたらすもうひとつの基盤である。とりわけ,市民国家の成立後,決定作成者が国民的指導者として立ち現れるようになった状況の下では,政治の重要な側面は,いかにして公共の福祉や国民的利益の名の下に,実質的に多くの国民の願望や欲求を満たす政策を立案し遂行するかという課題としてあらわれることになった。
政策立案とは,どのような手段がどのような効果をもたらすかの事実判断と,それを担う主体の能力判断を総合しながら状況の下で可能な選択肢群を設定し,国民的利益という目標価値の内容を明確にしてそれらの選択肢の中から最適の方策を選択する行為である。それは,軍事や運動あるいは企業などにおいては,戦略や戦術の問題として論議される。その意味で政策的思考は,すべての集団や社会における政治的思考の基本的な局面を構成している。
賢明かつ適切に政策を立案し,かつそれを実施するためには,集団や社会は,情報を収集し,選択肢を判断し,決定を効果的に遂行する頭脳と手足を必要とする。その役割を担うのは,通常,官僚制である。政治的決定が集団成員全体の要求にこたえるものという前提が強化されるにつれて,官僚制は肥大していくのが常である。
市民革命以降の民主化の進行は,政策決定が適切に行われるだけではなく,それが国民社会の成員全体によって常時理解され,積極的に支持されることを必要とさせるようになった。政治指導は,この意味で,客観的に適切な決定をするだけでなく,ときにはそれにもまして,成員に主観的に受容されるような決定を行い実施していくことに力点が置かれることになる。指導の過程は,したがってまた指導者や政府の演説や宣伝などを通じて成員を説得する過程であり,マス・メディアの発達に伴って,それはまた,争点の操作や外敵の創出,イデオロギーや神話の流布から情報の統制にいたるまでのあらゆるコミュニケーション活動が遂行される過程でもある。
民主化,すなわち決定が成員の合意にもとづいて行われることの正統化は,政治に新たな側面をつけ加えることになる。そこには,指導者の選出から決定の作成にいたるまでの過程が,成員の合意にもとづき自治として行われるという前提から生じるすべての問題が含まれる。それは,古代ギリシアの民主制においてはじまったものだが,しかし国民国家のような大規模社会において,問題はその複雑性をいちじるしく増大した。ここでは,国民代表や議会制民主主義あるいは政党政治や権力分立などについてのさまざまな理論と慣行が案出される一方,合意の創出に向けての交渉や妥協あるいは言論や集会などを通じての世論獲得競争などのさまざまな技能が普及するようになった。このような伝統が定着した国々においては,政治とは,狭い意味では権力的な支配に代わる自治的な決定作成の制度や技能の全体を指し示すことばとして用いられてきている。
このような議会制民主主義をめぐる政治は,政治の大衆化がはじまった現代初期においては,ソビエト社会主義やファシズムにみられるように,政策の効果的遂行の名目やカリスマ的正統性によって攻撃され危機にさらされた。しかし20世紀の後半以降,大衆民主主義が成熟へと向かうにつれ,合意と自治の政治は,地方分権や市民参加などの枠組みを加えて,より新たな発展を示しつつある。
集団や社会は,なぜ政治を必要とするのか。市民社会の社会的自治の下,〈チープ・ガバメント(安価な政府)〉が主張された時代を背景に,政治とは社会的利益の対立の究極的な調整機能であるとか,犯罪者や外敵からの防衛のためにのみ必要とされるという見方が一般的だった。このような政治観が,市民国家の階級的役割を粉飾するのに役立っているとしたK.マルクスは,政治すなわち成員全体を拘束する統一的な決定は,権力を握る支配階級の利益のために形成され維持されると論じた。政治を,かぎられた社会的価値の権威的な配分過程と定義する現代のD.イーストンや,政治は社会的価値を争奪してエリートが上昇していく過程だとするH.D.ラスウェルらは,階級社会観を前提としていないものの政治の役割を限定的に考える点で,市民社会以来の伝統を継いでいる。
しかし,20世紀の福祉国家の時代を背景にして,政治にもっと積極的な機能を認める考え方がますます有力になっている。今日の国家における決定が,政治権力の基盤となっている特定の集団や階級,あるいはエリートたちの私的利害と重なっていることを否定することはできないが,しかし,単にそれのみにとどまらず,国民経済の円滑な維持,国土の開発と環境保全,教育・文化の発展あるいは社会保障の進展などに対して,不可欠の役割を果たしていることは,資本主義国家であると社会主義国家であるとを問わず,否定することができない。そのかぎりで政治は,単なる利害の調整,価値の配分機能をこえて,価値の創出という機能をも果たしているのである。
政治はまた,人間が必要とする諸価値に限界があることから生まれるとしばしばされてきた。〈豊かな社会〉化の中で政治的無関心や脱政治現象が増大しているのは,こういう見方にそれなりの理由があることを説明している。しかし,その〈豊かな社会〉を維持するために政治的決定の役割はますます増大する一方,他方ではより精神的に充足した生活を求める底辺での政治参加が増大しているのも事実なのである。この意味で,政治は,人間の能力に限界があり,したがって人間が集団や社会生活を通じて問題の解決を求めるところでは,つねに不可避の現象だということができよう。
これまで政治が生起する場について,主として地域的住民社会の歴史的発展に即しながらも,集団と社会を区別することなく説明してきた。教会や労働組合などの私的集団の政治的機構と地域社会が形成する国家の政府との間に本質的な違いはないという考え方は,20世紀初頭の政治的多元主義によって提起され,政治的行動主義の理論家たちによって継承された。しかし,地域内の集団すべてに対して最高権威(主権)を主張し,権力の究極的基盤である暴力を独占する近代国家の政治と他の集団の政治との間に質的な差があることは,当然,認められなければならない。とはいえ,国際社会の組織化が進行し,ヨーロッパ共同体のような超国家的機構も生まれて,国家主権を制限する一方,国内では分権化が進行し,またさまざまな民間団体や多国籍企業の国際的連携による活動も活発化しつつあるのが現代の状況である。政治の考察を国家の政治のみに限定することは,明らかに狭すぎるのである。
→世界政治
近代日本の政治は,一般に明治国家の形成からはじまるとされる。廃藩置県と国民軍の創設による権力の集中,天皇の神格化による権威の確立によって絶対主義国家を形成した明治国家は,やがて議会制度と政党政治を導入,また学校制度と結びついた専門官僚制を組織して近代市民社会に対応する政治体制へと転換をはかった。しかし,男子普通選挙制の施行に伴う政治の大衆化の動揺の中で,熱狂的な大衆ナショナリズムと結びついた軍部独裁政治が勃興し,日本は中国大陸ついで東南アジア諸国の侵略へと向かうが,連合諸国の反撃を浴びて敗戦にいたる。戦後,経済成長が軌道にのるにつれて議会制民主主義は安定し,いわゆる〈55年体制〉を形成するが,その中で〈豊かな社会〉が定着するに従って,市民参加や〈地方の時代〉など,日本の民主政治も新たな展開を迎えつつある。
以上のような基本的様相に即するかぎり,近代日本の政治は,欧米諸国と似た発展過程をたどってきた。それは,明治時代以降,日本が欧米諸国と同様に資本主義的工業社会として発展してきたことから生じている。しかし,アジアの一国として独自の文化的・社会的伝統をもち,欧米諸国に遅れて近代国家の建設にのりだした日本の政治には,おのずと特有の政治的力学が形成されてきた。それは基本的に,日本の近代国家が,欧米諸国の外圧に対抗するために,エリート層(旧社会の下級武士およびその後継者としての軍部と官僚)によって上から建設されたという事実から生まれている。そこでは,市民革命を通じて市民階級が政治の主導権を奪い,絶対主義国家に対抗する市民国家の諸原則を自らの手で形成することは,ついに起こらなかったのである。
近代日本の最初の憲法である明治憲法(大日本帝国憲法)は,一面では自由民権運動への譲歩として,しかし,基本的には日本が近代国家であることを欧米諸国に証明して条約改正を勝ち取るための近代化政策の一貫として制定された。そこでは,天皇主権の下に〈臣民の権利〉は抑制され,議会は開設されたものの,政府は議会や政党を超越して組織することが可能であった。また,軍部は天皇の統帥権に直属する半ば独立した存在であり,内閣の統制に反抗してそれを瓦解に追い込むこともできた。明治末期からいわゆる大正デモクラシーの時代にかけて,明治国家を建設した藩閥およびそれと連携した官僚・軍部・貴族らの支配エリート層は,政党に代表される地主・ブルジョア層と妥協して政党政治の慣行をつくりだしていったが,ロシア革命と政治の大衆化の衝撃の中で,治安維持法を制定して体制批判を封殺し,やがて軍部独裁へと道を開くことになった。それは,ひとつには,明治憲法のもつこのような絶対主義的な性格の制約を,ついにのりこえる道を見いだすことができなかったことによる。
敗戦後,連合国の占領下に制定された日本国憲法は,こういう制約を取り除き,本格的な政党政治を可能にする制度的基盤を,はじめて日本でつくりだした。天皇主権は,国家神道とともに否定され,国民主権の下に,イギリス的な議院内閣制とアメリカ的な地方自治制が導入された。さまざまな政治的自由権や参政権は,婦人参政権も含めて,基本的人権として保障された。また,軍備の放棄によって,ふたたび侵略的ナショナリズムをあおり,軍部独裁へといたる道は,法的に閉ざされた。他方,勤労者の団結権や集会・結社・表現の自由が保障されたことにより,革新諸政党は大衆運動を通じて勢力を伸長し,政治に影響をあたえる道が開けた。これらは,占領下に遂行された内務省・特高警察の解体,農地改革,家制度の廃止などと相まって,戦前と戦後の日本の政治環境を基本的に転換させたといえよう。しかし,こういう体制変革の中で,日本の政治は,制度的に欧米民主主義諸国と基本的に同質のものとなったと単純にみなすことはできない。そこには,明治国家以来の近代日本政治の特質の一部が,依然として持ち越されていた。その最大のものは,一口に〈三割自治〉といわれる財政面での中央の地方に対する優越であり,また,スト権剝奪にあらわれた公務員に対するきびしい政治活動の制限である。それは,国家官僚制を政争から超越して国益を体現すべき特権的な聖域とした戦前の伝統を継ぐものであり,やがてエリート官僚層と保守党の癒着の下に,中央から地方への利益誘導を集票装置として,軽武装下の経済成長を国家目標とする永続的な支配体制を戦後日本に建設していく基盤となった。
近代国家の諸制度が,欧米諸国を範として〈外から〉かつ〈上から〉移入されたということは,政治的権威や正統性の基盤となり,また制度の解釈や運用の根拠となる社会倫理や政治文化が,前近代的構造や日本的な伝統を保持しつづけたまま残されたということを意味する。ここから〈和魂洋才〉〈タテマエとホンネ〉などの二重構造が生まれるとともに,輸入された近代的な政治制度が,それ自身の正統性をつくりだすことなく,危機に際して土着的な文化や原理によって攻撃され動揺するという力学が生まれることになった。
明治国家が欧米諸国に対抗して上からの近代化を遂行するのに並行して努力したのは,政治的権威を伝統的政治文化に即して打ち立てるために,国家神道を背景にして国家の基軸として天皇を神格化すること,その意味での国体の樹立だった。そして明治維新は,王政復古という天皇親政によって,封建的な身分制度の桎梏(しつこく)に悩む庶民を解放する〈御一新〉としての性格をも合わせもっていた。ここから,欧米的な近代化を上から遂行するエリート集団が新たな特権的支配層として大衆の目に映じるようになるにつれ,天皇をいただいて維新をやり直そうという革新右翼の原理主義的運動が生まれることになる。それは1930年代の社会的危機を背景に,青年将校や右翼グループを中心に,しばしばクーデタ的テロリズムに訴え,支配体制を揺るがせた。天皇は,国家の政治機関であるという,明治以来の官僚層の常識とされてきた近代的な国家論が,ついに公式に否定されるにいたったのは,その結果のひとつである。
戦前の天皇制国家を支えたもうひとつの政治文化の基盤は,近代日本を通じて温存された共同体的かつ権威主義的な社会構造から形成された。家父長支配の家制度と閉鎖的な村落共同体,そして地主・資本家など旦那衆の身分的支配の構造は,あらゆる〈主義者〉を異端視し,批判を抑圧することで個人の自立を妨げ,滅私奉公の精神を社会のすべての領域で強調させたのである。また,日本社会に土着的な固有神道に由来する社会倫理は,キリスト教的な客観倫理とは対照的に,〈時の勢い〉〈日本民族の元気〉などという生命主義的な正統化を,しばしば政治の世界にもちこんだ。天皇制国家は,こういう政治文化の側面に依拠するかぎりにおいて,天皇を家長,国民を赤子とする家族国家,伝統的淳風美俗を鼓吹する道徳国家,郷土への排他的愛着を核にする自己中心的ナショナリズムによって支えられる共同体国家でもあった。それは,現人神(あらひとがみ)としての天皇への絶対的帰一を要求する原理主義的な革新主義とは,必ずしも調和するものではなかったが,政党政治の円滑な発展を妨げ,アジア侵略に対する大衆的熱狂をかきたてて軍部独裁政治をつくりだす支えとなった点で相補う役割を果たしたのである。
敗戦後の制度と社会構造の変革と権威の失墜に伴う民主化の進行は,こういう戦前の政治文化のあり方を大きく変化させた。とりわけ天皇の神格化の否定と国家と宗教の分離,国家主義教育の禁止と教育勅語の失効,軍部の消滅,そして家制度・地主制度の解体と女性の政治参加は,明治以来公に認められることのなかった私的幸福の追求をはじめて正統化させ,核家族を単位に平和で豊かな消費生活を送ることが,日本人の自明の価値的前提とされるようになった。保守党が,経済成長による豊かな社会の創造を,党の基本政策として訴えることによって,政権の独占を果たしつづけたのは,ひとつにはそれがこのような政治文化の転換に即していたことによっている。
しかし,それは戦前的な政治文化の特質のすべてが消滅したということではありえない。そのある部分は,そのまま戦後の政治の中へと持ち越された。とりわけ,共同体的文化の伝統に根ざす集団主義的な社会倫理は,経済成長に伴う農村からの急激な人口流出が都市での工業化社会の拡大を支えていたかぎりにおいて,企業活動や政治活動の核心に生きつづけた。そしてその反面,個人の積極的な主張と活動に裏付けられた自治の文化の大衆的な形成は,大きく取り残されることになった。それはまた,戦後正統化された私的な幸福の追求が,急激な経済成長と農村共同体の解体の中で,経済的な利益の追求へと単純化されたことによる。中央政府に財政権限が集中した〈三割自治〉の構造は,それに拍車をかけた。このようにして,55年体制の下ではじめて定着した大衆民主主義下の日本の政党政治は,急速に,大衆的な利益集団が中央政府に組織的圧力をかけて,利益を奪い取る〈圧力民主主義〉の政治へと変形し,政党は大衆党員を組織しえないままに,これらの利益集団の政治機関へと転化し多党化していったのである。それはまた他面では,官僚エリート層と結びついた保守党が,〈天下党〉へと上昇していく過程でもあった。1970年代以降の〈豊かな社会〉の持続と高年齢社会の到来は,このような政治文化の特質に静かな革命をもたらしつつあることは確かである。それは,一方では,大衆に生活の量よりも質を求めさせはじめると同時に,若年層や都市中間層を中心に〈支持政党なし〉の脱政党政治的文化を広げさせつつある。しかし,それが究極的に日本の政党政治の構造をどのような方向に変えていくかは,ゆっくりと時間をかけて判断しなければならないだろう。
執筆者:高畠 通敏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
政治を表す西欧の語は、古代ギリシアの都市国家であるポリスpolis、およびそれから派生したポリテイアpoliteia(市民権、国家)その他の関連語に由来する。英語のポリティックスpoliticsは、初め徒党や派閥を組む人々の活動に対する悪口として用いられたが、近代の政党制、代表制の確立とともに非難めいた意味はなくなった。しかし今日でも、英語では、政治といえば「汚い仕事」という連想が残っており、低劣な政治家をポリティシャンpolitician(政治屋)とよんで、ステーツマンstatesman(国士)と区別することがある。さらに英語のポリティックスについていえば、それは、政治の現実ないし過程を表すとともに、それを研究する政治学を意味することもある。またドイツ語のポリティークPolitikは政治と政策の両方の意味があり、英語のようにポリシーpolicy(政策)という別の語をもっていないから、そのいずれを意味するかに注意しなければならない。
[飯坂良明]
政治とは何か、あるいは政治とは何を意味するかという問いに対する解答は、観察者、研究者のもっている経験や問題意識によって異なる。さらにまた政治ということばそれ自体がもっている語源的な意味に影響される面がある。すでにみたように政治にあたる西欧語は、ポリス(都市国家)に由来したところから、政治をポリスの業務、すなわち国家の仕事として考える見方が広まるようになった。このように政治を国家の統治行為とするとしても、国家の形態や性格は歴史とともに変化してきているので、より一般的に、人間の公共生活あるいは共同生活に必要な業務の遂行や問題の処理を表すことばとして理解されている。そこで、政治を、国家に特有のものとして限定的にみるか、それとも、人間が集団生活をするところ、そこに政治があるとみるべきかは、観察者の問題関心によって異なる。前者の立場を「政治国家現象説」、後者を「政治集団現象説」とよんで区別することがあるが、後者の立場をとる場合でも、政治が国家というもっとも制度化された集団のなかにおいて典型的、集約的に現れることについては異存がない。ともあれ今日では、政治は国家にとどまらず、国際社会やあるいは各種の集団にみられる現象であるという考え方がより一般的となりつつあるといえよう。
今日では、政治を「集団の政策(意思)決定過程」とみる見方、あるいはそれに類した規定の仕方が一般的に行われている。この場合の「集団」はもちろん国家や地方自治体にとどまらず、いろいろな社会集団や、国内的、国際的団体を含む。また「政策決定過程」とは、広義には目標の選択、目標達成方法の決定、そしてそれらの実施あるいは実行の全過程を表す。「政策決定」policy-makingは「政策形成」と表現される場合もあり、また「意思決定」decision-makingは「決定作成」という表現が用いられることもある。政策決定と意思決定とは同じ意味に用いられることもあるが、意思決定のほうがより広い意味に用いられている。政策決定は政府の行為に関して用いられることが多く、また、政治に関して意思決定の語が用いられる場合、たとえば選挙は一つの意思決定過程ではあっても、狭義における政策の決定ではない。けれども、政治過程全体をさして政策決定過程という場合には、政策決定者を支持するものとしての選挙もその一部に含まれる。いずれにしても政治を政策決定過程とみる見方は、伝統的政治学の静態的、制度論的な政治の見方に対して、政治の動態や過程を重視する行動論的政治学あるいは現代政治学とよばれる立場にたつ政治の定義であるといえよう。この政治の見方はH・ラスウェルによって代表されるが、もう1人の代表的なアメリカの政治学者D・イーストンは、政治を「社会に対する価値の権威的配分」と定義した。これもラスウェルの政治の定義と同工異曲である。というのは、政治は、形式的にいえば「政策決定過程」であり、内容的にいえば「価値の権威的配分」ということになるからである。
こうして、政治を「国家」という制度・構造から説明するのではなく、逆に「国家」を政治という過程・機能から説明しようとするところに行動論的な政治の定義ないし見方の特色がある。そして政治という機能が認められる限り、それが「国家」とはいえないような「原始社会」や「種族社会」であっても、これを政治研究の対象とすることができる。
[飯坂良明]
政治とは何かという政治の意味、あるいは政治をして政治たらしめる本質的特徴が、政治概念、そして政治の定義には含まれていなければならない。
ところで、政治を政策(意思)決定という角度からみる場合、そこに当然「権力」の問題が関連してくる。なぜなら「権力」はラスウェルによれば、「意思決定への参加」にほかならないからである。この面からいえば、「政治」は「権力過程」であり、また「権力関係」という流動的な状況を抜きにしては考えられない。決定作成過程に参加し影響力を行使するには、暴力行使や利益誘導、さらには理性的説得から宣伝やシンボル操作に至るまで種々の方法がある。したがって、政治にとって不可欠な要素としては、暴力ないし実力、利益や価値、情報や知識、そして思想やイデオロギーなどがあり、またこれらのものを組み合わせて行使するための組織や集団、さらにこうした決定作成をめぐって権力闘争が行われる際のルールや手続、制度なども政治には不可欠である。
政治は権力をめぐる、そしてまた権力を基礎とした決定作成過程であるが、権力関係はきわめて流動的、可変的であって、市民社会の段階から大衆社会、情報化社会へと社会の性格が変化するにつれて、社会の人々の意識や相互関係がますます流動化し、権力の基盤や態様も変化する。たとえば、今日ではマス・メディアが政策決定に大きな影響を及ぼすに至る。また社会の変化につれて政治の争点も変化する。たとえば、豊かな社会の登場とともに、経済的、物質的利益をめぐる争点から、生きがいや環境の問題といった「生活の質」あるいはライフ・スタイルの見直し、そして高齢化社会における福祉や生きがいの創出などに関連する施策に、政治の争点は移行する。
政治においては、以上のような絶え間ない流動化、状況化がみられるとともに、他方で権威の正統性や秩序の安定を求める制度化の過程が進行する。この過程のなかで支配と被支配、エリートと大衆といった役割や機能の分化が固定化される。こうして政治においては状況化が進めば進むほど不安定となり、制度化が進みすぎると政治は硬直化して自発的政治参加が低下する。政治には両者のバランスがたいせつである。
今日の政治では、一方で政治参加の幅が広がれば広がるほど、他方で官僚制が肥大し管理化が進行するという二律背反がみられる。
また一方で政治的無関心が増大すればするほど、他方で政治的ラディカリズムの運動も進行するという矛盾がみられる。
さらにまた、現代の政治では、個人の私生活化、非政治化が進行するとともに、社会の政治化が進展してあらゆるものが政治に組み入れられていく。「孤独なる群衆」の増大とともに、「集団の噴出」が至る所におこって政治過程にそれぞれ影響する。
政治は、価値や目標をめぐる闘争であるとともに、手段や方法の選択をめぐる闘いでもある。ところで、政治に価値や目標を提供するものが「神話」であり、手段、方法を提供するものが「技術」である。こうした観点からいえば、政治はR・M・マッキーバーのいうように、神話と技術の複合体であり、そのどちらを欠くこともできない。神話は、イデオロギーや信念という形で人間の非合理的な意思や感情に訴え、技術は、それが自然科学的技術であるにせよ、組織化、制度化といった社会的技術であるにせよ、人間の合理性に訴えかける。神話を人々に植え付けるために種々の政治的儀式がつくりあげられ、演劇的効果が盛り上げられる。他方、技術は有効な手段としての効率を優先させ、ときとして独裁的支配や大量虐殺といった非人間化を促進することがある。
こうして政治は、自己のうちに二律背反的要素を含み、天使にも悪魔にも奉仕するというあいまいさをもち、しかも人間の運命を決定的に左右するという深刻な側面をもっているから、政治の本質を見極め、これに正しく対処することが不可欠である。
ところで政治は、人間の社会的、集団的共同生活を維持し、存続させるための共同的決定作成過程であることはすでに述べたが、この営みによって人間の生活条件が改善され、社会的環境の整備が図られる。これを政治の順機能とよび、これに逆行するような政治の働きを政治の逆機能という。いうまでもなく政治の順機能の促進は、共同生活を営むすべての人の責任である。
政治は、現状の不備を改善し、人間の共同生活のためのよりよい環境を形成するという目的を志向するものとして、未来づくりをその本質的特徴の一部とする。政治は未来の形成に重大な関係をもつ。しかも今日では、未来形成のための予測や計画が、それに必要な情報の収集や処理によって、従来よりもはるかに正確かつ迅速になされるようになった。けれども未来形成にはつねにまた多かれ少なかれリスクが伴うことも否定しえない。したがって政治にはつねに賭(か)けの要素があり、決断を必要とする。とりわけ危機的状況においては政治における決断の要素が重要となる。未来づくりのための賭けを回避するとき、政治は守旧的、現状維持的となり、自ら危機を招くに至る。
歴史の転換期にたたされているといわれる今日、政治のもつ未来形成的機能は改めて注目される必要がある。今日、政治はグローバル(地球的)なかかわりをもつとともに、未来へのかかわりをもつことが、強調されなければならない。
[飯坂良明]
字通「政」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…特定の少数者が権力を背景として集団に一定の秩序を付与しようとすること。政治とほぼ同義に用いられることが多いが,厳密に解すれば,統治は少数の治者と多数の被治者との分化を前提とし,治者が被治者を秩序づけることを意味するのに対して,政治は,少なくとも,対等者間の相互行為によって秩序が形成されることを理想としている。こうした差異を端的に示しているのは,政治と統治の言語としての差異であろう。…
※「政治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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