重臣(読み)じゅうしん

日本大百科全書(ニッポニカ)「重臣」の解説

重臣
じゅうしん

1932年(昭和7)の五・一五事件による政党内閣崩壊後、首相の選考などに関し宮中での政治的発言力を与えられることになった人物。官制上の職名ではない。内閣総辞職の際の後継首相の選考は、明治中期以来、元老たちによってなされてきたが、大正末から元老は西園寺公望(さいおんじきんもち)ただ1人となった。西園寺は、五・一五事件後、斎藤実(まこと)を首相に推薦したが、32年8月、牧野伸顕(まきののぶあき)内大臣に高齢病弱を理由に、元老辞退の意思を示し、新しい首相選考方式の作成を依頼した。結局、元老辞退は周囲の強い反対で実現しなかったが、後継首相選考方式のほうは、元老が必要に応じて内大臣や重臣と協議して推薦する案が作成され、33年1月、天皇に内奏されて採用された。重臣の範囲は枢密院議長と首相の前官礼遇者(功労顕著により、退官後も在官中の待遇を与えられた者)であった。以後、毎回ではないが、重臣も後継首相の選定の協議に加わることになった。

[粟屋憲太郎]

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百科事典マイペディア「重臣」の解説

重臣【じゅうしん】

昭和の初めから太平洋戦争まで,天皇の側近であった重職者のこと。1935年前後から用いられた言葉で,官制上の職ではない。五・一五事件の後,後継首相の選任に際して,従来選任を担当していた元老(この頃には西園寺公望ただ一人となっていた)が重臣の範囲を内大臣枢密院議長,内閣総理大臣の前官礼遇者(退官後も在官当時の待遇を得ている者)などに限り,彼らの意向を聴取するという形がとられた。重臣の範囲はのちに前官礼遇者だけでなく首相や枢密院議長の経験者に広がったが,1940年西園寺公望の死後は重臣が元老に代わり後継首班の推薦を行うことが新しい慣例として確立した。太平洋戦争中,重臣の若槻礼次郎岡田啓介平沼騏一郎近衛文麿らの倒閣運動は東条英機内閣を退陣させた。
→関連項目小磯国昭内閣昭和維新

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旺文社日本史事典 三訂版「重臣」の解説

重臣
じゅうしん

昭和初期から第二次世界大戦終了時まで,内閣交代の際,後継首相の選定にあずかる人びと
五・一五事件(1932)以後,元老西園寺公望 (きんもち) の発意で,内大臣・枢密院議長・元首相などの意見を求めて,政党内閣終焉 (しゆうえん) 以後の首相選任に対処した。西園寺の死後,内大臣の司会重臣会議が首相選定を行う慣習が成立した。

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精選版 日本国語大辞典「重臣」の解説

ちょう‐しん【重臣】

〘名〙 国家に重んじられる臣。重要な職務にある家臣。じゅうしん。
※高野本平家(13C前)一「大蔵卿為房、太宰権帥季仲は、さしも朝家の重臣(テウシン)なりしかども」

じゅう‐しん ヂュウ‥【重臣】

〘名〙 重要な職務にある臣下。また、身分の高い家来。ちょうしん。
※権記‐正暦二年(991)九月七日「右大臣従一位藤原為光朝臣は、数代に歴仕へ朝乃重臣とあり」

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世界大百科事典 第2版「重臣」の解説

じゅうしん【重臣】

重職の臣という意味であるが,制度上の職名ではなく,その範囲も,また用語例としてもかなりの幅がある。とくに日本では昭和戦前期に元老を助けてまたはそれに代わって政変の際の後継首相候補の推薦にかかわったり,ときには天皇の下問に直接答えたりした内大臣,枢密院議長,首相前官礼遇者ないし元首相らをさすために用いられる。 明治憲法の下では天皇が統治権総攬(そうらん)しながら政治上の責任を負わず,しかも天皇を輔弼(ほひつ)する内閣の交代のルールや天皇に直属する諸機関の関係は明確にされていなかったから,こうした体制統合の最高調整にあたる天皇の顧問としての元老や,常侍輔弼の内大臣が重要な役割を果たした。

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