佐多忠隆(読み)サタ タダタカ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「佐多忠隆」の解説

佐多 忠隆
サタ タダタカ


肩書
元・参院議員(社会党)

生年月日
明治37年6月5日

出生地
鹿児島県

学歴
東京帝大経済学部〔昭和3年〕卒

経歴
片山内閣経済安定本部財政金融局長などを経て、25年から参院議員3期(鹿児島地方区)。党国際局長を務めた。

没年月日
昭和55年4月23日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「佐多忠隆」の解説

佐多 忠隆
サタ タダタカ

昭和期の政治家 元・参院議員(社会党)。



生年
明治37(1904)年6月5日

没年
昭和55(1980)年4月23日

出生地
鹿児島県

学歴〔年〕
東京帝大経済学部〔昭和3年〕卒

経歴
片山内閣経済安定本部財政金融局長などを経て、25年から参院議員3期(鹿児島地方区)。党国際局長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐多忠隆」の解説

佐多忠隆 さた-ただたか

1904-1980 昭和時代官僚,政治家。
明治37年6月5日生まれ。企画院調査官となったが,昭和16年企画院事件で投獄される。戦後は片山内閣の経済安定本部財政金融局長などをへて,25年参議院議員(当選3回)。社会党外交委員長,国際局長などをつとめた。昭和55年4月23日死去。75歳。鹿児島県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の佐多忠隆の言及

【企画院事件】より

…このため近衛内閣は企画院原案から資本と経営の分離を削除し,財界案に妥協した要綱を同年12月,閣議決定した。〈赤〉攻撃は12月に内相に就任した平沼騏一郎(きいちろう)によっても強まり,41年1~4月に企画院原案作成に関与した和田博雄,正木千冬,勝間田清一,佐多忠隆,稲葉修三ら17名が治安維持法違反容疑で検挙,数名が起訴された。治安当局は被疑者に自白を強要し,和田らを〈コミンテルンと日本共産党の方針を支持した〉共産主義者だとして事件を捏造(ねつぞう)した。…

※「佐多忠隆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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