佐文郷
さぶごう
東急本は「佐分」とし、佐文郷を遠敷郡にも載せる。両本とも訓を欠く。天平勝宝二年(七五〇)のものと思われる平城宮出土木簡に「若狭国遠敷郡佐分里三宅大人」、「景雲」四年(七六九か)九月二九日の同木簡に「佐文郷三家人石万呂戸口三家人衣呂」とみえる。また国郡名を欠く年不詳の同木簡に「佐分郷戸主道公嶋守戸三家人阿都目」とある。
中世にも佐分郷があり、文永二年(一二六五)の若狭国惣田数帳写に「国領」という朱書を付して「佐分郷百廿町三反三百廿歩」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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